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若貴確執にみる兄弟心理
弟が優秀 角界の立場逆
「若貴の確執」がメディアを巻き込み注目の的だ。元大関・貴ノ花の二子山親方の死去で、兄の元若乃花と弟の貴乃花親方の対立が一気に表面化した。若貴といえば「理想の兄弟」ともてはやされブームを呼んだ。これまで家族に対する報道にも口を閉ざしてきた貴乃花親方が一転、兄批判を展開し、和解に「決まり手なし」といった状況だ。泥沼化する若貴騒動にみる兄弟って−。
「以前はちやほやしていた世間が一転し、今取材に来る人たちは仲たがいの話ばかり聞きたがる。世間も私たちも(若貴に)理想の兄弟だというイメージを押しつけてしまい、本人たちは苦しかったかもしれない」
東京都中野区の貴乃花部屋(旧二子山部屋)の地元、中野新橋商店街振興組合理事長の赤池良雄さん(73)は、ため息交じりだ。一九九〇年代の若貴全盛時代、「部屋の力士が優勝するたびに商店街では鏡たるを割って祝い酒を振る舞った」(赤池さん)。若貴ブームに乗り、商店街を盛り上げてきただけに、兄弟仲が嵐の様相に戸惑いを隠せない。
「私が見てきたのは兄弟が子供のころ自転車に相乗りしたりして一緒に遊ぶ姿だった」(赤池さん)。だが、実際は違ったようだ。貴乃花親方は九日、報道陣に「若貴兄弟と取り上げてくれるのはうれしかったが、あまりにもきれいに映りすぎていた。必ずこういうとき(確執の表面化)が来るなと、幼心にも分かっていた」と心情を語った。
兄弟の確執は、父の死去後、喪主の座などをめぐり表面化した。会見を兄弟別々に行い、遺骨の管理でも対立。年寄名跡証書の所有権など遺産相続で対立は決定的となった。ここにきて貴乃花親方は週刊誌やテレビで心中を語りだした。
確執が初めて表面化したのは「九八年秋場所直前に起きた『洗脳騒動』から」と指摘するのは、花田家の取材を十五年間続けてきたノンフィクションライターの武田頼政氏だ。
若乃花を拒絶する態度へ一変した貴乃花に対し、二子山親方が「(貴乃花が懇意になった整体師から)洗脳されている」と告白し騒動になった。
武田氏は「相撲協会の幹部だった二子山親方が体面を考え、二人に無理やり、和解の握手をさせ、うわべを取り繕ったことで、心の中の亀裂がより大きくなった」と分析する。
かつては仲がよかった。「関取になるまでは肩を寄せ合って精進する、本当に仲のいい理想の兄弟像だった」と武田氏。相撲評論家の大見信昭氏も「貴乃花が初優勝した九二年(当時貴花田)には、二人で海外へ祝賀旅行に出かけたほど」と振り返る。
■「父との対立を兄批判で隠す」
どんなボタンの掛け違いで、ここまでの確執に変容したのか。貴乃花親方は「入門当時から確執が目覚めた」と話しているが、武田氏は「それは光司君(貴乃花親方)が、兄弟の確執を強調したいからだ。騒動の真相は父子の確執。正統な後継者と見られたい光司君がカムフラージュしている」とその意図を指摘する。
二子山親方と貴乃花親方の確執は激しいものだったようだ。その象徴的な出来事として武田氏は「サンデー毎日」(六月二十六日号)で、九五年九州場所での当時大関だった若乃花と横綱貴乃花の優勝決定戦を挙げている。取組前夜、貴乃花の部屋を訪ねた親方は「分かっているだろうな」と兄に優勝を譲ることを求めたともとれる発言をしたという。これで父への不信感が高まったというのだ。
さらに「二〇〇三年十一月、安芸乃島(現・千田川親方)への年寄名跡譲渡問題で、光司君の廃嫡騒動も起きている」と指摘する。
「二子山親方は、安芸乃島と名跡を譲渡する約束を交わしていた。ところが、新親方になった光司君が独断で約束を破棄。怒った二子山親方は『光司の側にはつかない』と宣言。廃嫡問題にまで発展した」
加えて兄弟間にも相いれない面があった。武田氏は「勝君は相撲興行タイプで、光司君は相撲道を究めるタイプ。勝君は、技のデパートといわれた舞の海より決まり手の種類が多かった。光司君は横綱相撲といえる寄り切りが多く、毎場所十五戦全勝を目指すスタイルだった。二人の考え方の違いに、配偶者や後援会関係者などの意向も加わって、確執にバイアスがかかっていった」と解説する。
だからこそ「勝君はどうしようもない関係になっていた光司君から離れたかった。そのまま相撲界に残れば、兄弟を軸にした戦争になることは目に見えていた」と武田氏は勝氏の角界引退理由を推察する。
さらに大見氏は「(横綱としての格は)貴乃花はA級で若乃花はC級。相撲人生一本の貴乃花は、人間的にも自分の方が上と思っているだろう」と話し、「貴乃花の方が兄なら、こんな確執は起きなかったのではないか」と兄弟の立場の逆転を指摘、実例を挙げる。
「鶴嶺山(元十両)、逆鉾(現井筒親方)、寺尾(現錣山(しころやま)親方)の井筒三兄弟は、若貴のような確執はない。逆鉾と寺尾は同じ元関脇だが、大関とりの挑戦経験がある逆鉾の方が格上だからだ」
兄弟の争う理由を「親の愛の奪い合い」と指摘するのは新潟青陵大学の碓井真史教授(対人心理学)だ。
「親が亡くなった悲しみの中だからこそ、兄弟はどっちが親に愛されていたかを争う。だから相続の際に第三者から見たら平等に分配しても、不満を持つ」
しかも「親は子供に平等に接することが大事だが、子供は平等に愛されることを望まず『僕の方を』と思う」と分析、これが確執の要因になるという。
■「同業者だから距離を置けず」
さらに対立を悪化させる要因に、兄弟の立場の逆転を挙げる。弟が優れている場合は兄は穏やかでいられず、兄を立てなければならない弟もそれを受け入れるのは難しい。
碓井氏は若貴兄弟について「兄弟の争いとしては典型的で、横綱を頂点とするタテ社会の大相撲で弟の実績が上だったことは双方にとってきつかっただろう。一般には、親は兄弟それぞれの良さを褒めて『兄はスポーツが上手で、弟は作文がうまい』と言えば兄弟の心には余裕が生まれる。ところが同業者だから互いに距離を置けない上に、理想の兄弟と持ち上げられたから、不満は心の内にためこむしかなく、問題を隠すことになった」と指摘する。
「ためこんだ不満はあるとき爆発し、ゆがんだ形で表面化する。今貴乃花親方に『あの時はこうだった』『この時も』という言い方が出てくるのは、私たちから見れば今さらどうしてと思う話だが、本人は昔の出来事だとは感じてはいないはずだ」と分析する。
■『どの家族にも起こり得る』
前出の赤池さんは「今でも心の底では二人は固いきずなでつながっていると信じているのが地元の声だ。(貴乃花部屋が)よい力士を育ててくれることを第一に願って地元は変わらず応援を続ける」と関係修復を期待する。
だが、碓井氏はこうも話す。「どんなすばらしい兄弟にも問題はある。兄弟はうっかりすると激しく争う。でもそれはどんな家族にも起こり得ることだ」
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20050617/mng_____tokuho__000.shtml