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旧陸海軍、JR西日本、価値が転倒した組織は、宗教組織 会社、国家を問わず、「集団憑依」されているのである。
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投稿者 TORA 日時 2005 年 5 月 09 日 15:59:14: CP1Vgnax47n1s

株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu94.htm
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旧陸海軍、JR西日本、価値が転倒した組織は、宗教組織
会社、国家を問わず、「集団憑依」されているのである。

2005年5月9日 月曜日

◆近くにおられるうちに主を求めよ 2005/05/05(木) ミレニアム
http://www.path.ne.jp/~robcorp/bbs/wwwboard.cgi

事故当日にJR西日本の職員が事故を知りながらボウリング大会を開き、その後二次会で酒を飲んだという。

とんでもない会社である。国鉄時代の役人意識がまだ抜けていないのだろう。

信賞必罰がしっかりしていない国有企業に属している期間が長ければ長いほど、そこに属している人間が堕落する傾向は強い。

国全体で見ても、ソ連の影響下にあった諸国では、国民の意識から「自助努力」が欠落している。

社会主義諸国の国民は、国を自分の生活の面倒を見てくれる父親のようなものと見ている。

しかし、国とは、民の労働収入から得られる税によって成り立つ組織であるから、民がしっかり働かなければ国も国民に対して何も保証できないのである。

しかし、社会主義国の国民には「国には打ち出の小槌がある」という共通の幻想がある。

だから、自分に任せられた部署において不足や赤字が生じたら、もっと大きな部署にその責任を押し付け、その部署はさらに大きな部署に責任を押し付ける。

上位に押しつければ何とかなるという考えが国中に蔓延すると、国家の滅亡は間近である。

上にあげたって解決できないものはできない。国の上級官僚たちが、打ち出の小槌を振ってくれれば何とかなると信じても、彼らには何もないのだから、最後には自分たちにツケが回ってくる。

聖書は、こういった幻想を否定している。

「小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。」(ルカ16・10)

小さい事に関して責任を取れずに、問題を先送りしたり、上に回すことが許されるような組織は大きい事に関しても責任が取れない。

自分の会社が起こした未曾有の大惨事を知りながら、ボウリングができ、慰労会を開くことができるという神経は、その組織全体が堕落していることを示している。

このような大きな問題が発生する背景には、いたるところにおいて、小さな責任回避の積み重ねがあったはずだ。

どの組織でも言えることだが、破局の前に神は必ず悔い改めを促す人物を起したり、送り込まれる。預言者である。

彼または彼女の細い声は、次第に太い声に変わっていくだろう。

それでも耳を傾けないならば、大きな裁きに見まわれる以外にはない。

悔い改めることを拒みつづけた人間には、面罵する人間が送り込まれる。

今、自分が誰かにひどく罵倒され、叱責されているならば、神から送られた悔い改めの促しを頑固に無視し続けなかったかどうか過去を振り返って反省してみるべきである。

「主を求めよ。お会いできる間に。近くにおられるうちに、呼び求めよ。」(イザヤ55・6)

◆近くにおられるうちに主を求めよ2 2005/05/05(木) ミレニアム

(1)
今回の事故を通じて、JR西日本という会社の実態が明らかになった。

ドル箱路線の過密ダイヤを維持するために、職員に人間性を無視した過度のプレッシャをかける。

たまたま乗り合わせた電車の事故で多数の人命が失われ、怪我人が出ているのに、現場で救助することよりも、出勤を優先した上司とその職員。

自分の会社が起した未曾有の事故を知りながら、ボウリング大会を開き、慰労会を行った職員たち。

これらから見えてくる共通の特徴は、「人間性の喪失」である。

人間として当然持っていなければならない良識や感情を喪失している。

(2)
こういった内部だけで自己完結し、他者との関係を見失った組織とは早めに手を切ったほうがよい。このような組織に属すると知らず知らずのうちに、正常な感覚を失って自分が誰だかわからなくなってしまう。

あの、優秀で人望の厚い医師という評価を欲しいままにしていた林被告が、オウム真理教に入信後、組織内部での昇格に目を奪われ、殺人まで犯すようになった。

警察での取り調べを通じ、外の世界の人間と対話する中で本来の自分を取り戻し、オウムの呪縛から解放された彼は、自分が犯した罪の愚かさと大きさに愕然とする。

(3)
こういった価値が転倒した組織は、宗教組織、会社、国家を問わず、「集団憑依」されているのである。

憑依(ひょうい)の根底には、サタン崇拝がある。

金銭崇拝、偶像崇拝、名誉崇拝…

真の神以外を拝む組織は、サタンに「集団憑依」され、本来の目的とは違う目的に知らず知らずに流されていく。

仕事は自分のため、家族のためにするものである。

仕事が原因で死にたくなるほど苦しいなら、そこから逃げるべきだ。

仕事が原因で人間として当然持つべき良識すらも失っているならば、その仕事を止めるべきだ。

日本にはつらさのために環境を変えることを罪悪視する人が多いが、我々には自由人としての権利があるのだから、人間らしく働ける場所があるならそちらに移るべきだ。

集団憑依された組織に入ると、個人や社会の正常な目的よりも、組織の自己目的が自分にとって重要になり、自分も憑依者の仲間に引き入れられてしまうだろう。

(4)
過労死するまで働く人は、組織崇拝の犠牲者である。

本来自分の幸せのためにやっていることで死ななければならないなんて、馬鹿らしい。

私は、こういったまじめな人々に対して、「無責任になること」をお勧めする。

価値観が転倒し、サタンに憑依されている集団に対してまで忠誠を尽くす必要などまったくない。

忠誠を尽くして、過労死しても、会社や組織はあなたをフォローしてくれないだろう。

その時気づいても遅い。

サタンは人を利用するが、最後は必ず裏切る。「俺は知らんよ。」と捨て台詞を残して去っていくだけである。

サタンの集団憑依の目的とは、その集団を利用して、神の国を破壊し、人間の正常な生活を破壊することにある。

(5)
最近、ニートと呼ばれる、学校にも仕事にも行きたがらない若者の出現の一因は、彼らが自分の父親が組織によって牛馬のごとくこき使われて、使い捨てにされているのを見てきたからだという。

私は、大手の会社に勤務した経験があるが、会社生活の内容はひどいものだった。人間性なんてまったく無視される。夜12時ごろまで働かされても文句も言えない。

この実態をもし自分の子供が知ったら、絶対にサラリーマンにはなりたくないと思うだろうと感じた。

その会社は、中学高校時代に、遊びも何もかも犠牲にして勉強しないと入れないような大学の卒業生ばかりだった。

東大や京大を出ても、満員電車に揺られて、朝から晩まで働き詰め、人間としての正常な感覚を維持するための精神的な余裕を与えない。

コンピュータが導入され、仕事の効率が上がったから仕事が楽になるかというとそうではない。その効率に合わせてさらに多くの仕事をこなすように要求される。

昨日まで課長だった人が翌日、フロアの真中に用意された電話も書類も何もない机に座らされているのを見た。しばらくして彼は退職した。

労働者に対してこんな報い方をする組織は早晩つぶれると思った。(たしかに私が勤務した部はその後消滅した。)

ニートが生まれるのも無理はない。勉強しても未来が地獄なら、勉強しないほうがましだ、と考えても無理はない。

(6)
このような地獄のような労働環境の主原因は、聖書の神を礼拝していないことにあると思う。

「組織や国がどんなに大きくて、自分が小さくても関係ない。神が自分を導いて正しい道を歩ませてくださる」と信じることができ、なおかつ、それを辛抱強く持ちつづけるならば、神は我々に人間らしい、しかも、金銭的にも十分な報いがある生活環境を与えてくださるだろう。

このような信仰がない限り、非力な我々は、企業や国に蹴り回されて一生を終えるしかないだろう。


(私のコメント)
JR西日本の職員達の大事故が起きた後の態度が問題になっている。確かに事故を起こした電車に乗り合わせたJR職員がそのまま救助も行わずに出勤したり、ボーリング大会や宴会など開いている神経は、一般社会常識からずれている。テレビの画面を見ればこれは大事故だということは分かるはずですが、JRの職員でありながら他人事と思っていた。民主党の国会議員も一緒だったというのだから神経は麻痺している。

5月4日にも日本人の精神構造について書きましたが、組織に忠実でありすぎて個人の良識や正義感を喪失してしまうのは、組織の外から見ると異常に見える。身を犠牲にしてまで会社の為に尽くすのは異常だと思うのですが、わたしが会社員のときはそれが異常ではなかった。新入社員は入ってきた時には誰もが感じても10年も経つと異常に思わなくなる。

サービス残業も当たり前だったし、仕事が終わっても5時に帰宅することは許されなかった。上司が帰らないと部下も帰れないし何をすることもなく時間を潰すことが多かったが、これではたまらないので私は5時になったら帰ることにしたが、上司からは嫌がらせを言われるようになった。もちろん残業するような仕事がないにもかかわらずだ。

会社全体ではノー残業デーまで作られるほどなのに、現場では上司の面子を立てることのほうが優先された。だから就業規則も名ばかりで守られず、上司の指図が就業規則より優先された。JR西日本も上司に逆らえないからボーリング大会も宴会もそのまま行われたのもベテラン上司ほど社会常識からずれているからそうなる。

会社も大組織で古い会社になるほど組織も硬直化してくる。その中では実力よりもいかに組織に忠実であることが出世の目安になり、だから上司に逆らうことはよほどのことがないとありえなくなる。だから酒の席でも悪口を言えば誰かが上司に告げ口をして油断は出来ない。そして問題社員が酒の肴にされることが多くなる。いわゆる会社内でもいじめが起きる。

銀行などは若い女子職員が多いから社内結婚も実に多い。右を見ても左を見ても社内結婚ばかりだった。そんなだから酒の席で「社内結婚は釣堀の魚を釣るようなものだ」と冗談を言ったら仲間の社員に言いふらされて女子社員から白い目で見られるようになった。銀行員と結婚が目当てで入ってくる女子社員が多かったのだろう。

そんな風だから社内の男女関係も複雑になっていて、恋愛から結婚から不倫まで会社組織内で行われて外部との交際は例外的だった。まるで金魚鉢の中の金魚のような感じであり水槽から飛び出せば死ぬような雰囲気があった。銀行は新卒採用がほとんどで転職経験のある人がほとんどいなかったからだろう。

バブルの崩壊後は転職に対する抵抗も少なくなりましたが、転職が不利であることには変わりがない。私も転職前は1000万円近かった年収が半分以下に落ちた。テレビなどで転職でキャリアアップなどと言っているのはうそ臭い。だからほとんどの日本の会社員は必死に会社にしがみついて働かざるを得ない。だからJRの運転士だって無理なダイヤでも不平は許されず運転せざるを得なかったのだ。

日本の組織では外部からのチェックが効かないから大事故や敗戦のような出来事が起きないと、組織の悪弊はなかなか改まらない。日本が民主国家になれたのも敗戦のおかげですがあまりにも多くの犠牲を必要とした。旧日本陸海軍が戦争にまで突っ走ってしまったのも価値観が転倒した組織だったからですが、一般社会常識が通用しない組織の典型だった。

そのような悪弊が戦後になっても改まらずに日本企業内に残っている。上官の命令が天皇陛下の命令ならば、会社においても上司の指示は絶対的なものになり事故が起きない限り改革は出来ない。アメリカと戦争したら負けますよとか、こんなダイヤ編成では事故が起きますよと警告する有能な人はいたのでしょうが、組織を守ることの方を優先して、無能な上司が年功序列でなることは旧日本軍も現代の企業も変わっていないようだ。

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