★阿修羅♪ 現在地 HOME > 政治・選挙・NHK9 > 908.html
 ★阿修羅♪
次へ 前へ
「つくる会」歴史教科書についての見解【自由法曹団】
http://www.asyura2.com/0502/senkyo9/msg/908.html
投稿者 happyblue 日時 2005 年 6 月 08 日 09:56:22: BaRfZQX6fAfSk

「つくる会」歴史教科書についての見解
自由法曹団
はじめに

全国1600名の弁護士で構成する自由法曹団は、「新しい歴史教科書をつくる会」(「つくる会」)の公民教科書を全面的に批判検討した意見書を発表した。公民教科書とともに検定を通過した「つくる会」の歴史教科書も、法律家として黙過できない重大な問題点をはらんでいる。以下、そうした問題点を指摘する。

神話と史実の混同

まず驚かされるのは、古代の神話があたかも歴史的事実であるかのように紹介されていることである。そのうえ、子どもたちが神話と史実を混同するよう巧みな手法が用いられているのである。
4世紀前半に大和朝廷が成立した。しかしこのことについての文字による記録は中国にも日本にも存在せず、わずかに古墳の分布によって推測されるのみである。「つくる会」歴史教科書もさすがにそのことは記述する。
ところがそれに続いて「読み物コラム」として「神武天皇の東征伝承」が1ページ分掲載されているのである。しかし、神武から応神にいたる15代の天皇が実在しなかったことは、今日の歴史学の常識に属する。実在しない天皇の「東征」などは、歴史とはまったく関係のない神話にすぎない。
この教科書もこれを「伝承」と断ってはいる。しかしそれがある程度は歴史的事実を反映しているかのように子どもに誤解させる巧みな手法がとられている。
そのひとつは、大和朝廷の成立に関するたしかな記録がないとしてうえで、「古事記」や「日本書紀」を「わが国で最も古い歴史書」と紹介し、ここに「大和朝廷のおこりについての伝承が残っている」と記述する手法である。これによって「たしかな記録」はないものの、「わが国最古の歴史書」が残した伝承ならば、ある程度真実を反映しているのではないか、という印象を与えようとするのである。
しかし「神武天皇の東征」を記述した日本書紀は西暦720年に、当時の天皇家の正当性を主張するために編まれた文書である。神武天皇の即位を紀元前660年としたのも、日本の歴史が中国よりも古いことを誇示する政治的意図にもとづくものであった。神武天皇に関する日本書紀の記述は、なんらの歴史的真実も反映するものではない。
つぎに、この「伝承」を「古代の日本人が理想をこめてえがきあげたのが、神武天皇の物語だったと考えられる。だから、それがそのまま歴史上の事実ではなかったとしても、古代の人々が国家や天皇についてもっていた思想を知る重大な手がかり」と評価する手法である。


日本書紀には、当時すでに存在した民間の伝承を採りいれた部分もある。しかし、神武天皇の部分は、日本書紀の創作にすぎない。なんら「古代の人々の思想を知る手がかり」などにはならないのである。
「かりに歴史上の事実ではなかったとしても」という仮定話法には、その裏に「ある程度は事実かもしれない」と思わせようとする執筆者らの願望がにじんでいる。しかし神武天皇の不在こそが歴史的真実であり、このような記述は許されない。
このような誤った記述は、この教科書執筆者の強固な天皇主義の反映であるとともに、「歴史は面白い物語であるべきだ」というかれらの主張にもとづくものである。しかし、いかに「面白」くとも、確実な資料にもとづかない「物語」は歴史ではない。「つくる会」歴史教科書は、なんらかの「物語」ではあっても歴史ではない。
絶対的天皇制と帝国主義戦争・植民地支配の賛美
大日本帝国憲法(明治憲法)の発布(1889年)が手放しで賛美される。「憲法を称賛した内外の声」が紹介される一方、絶対的天皇主権にたいする制約が乏しく真の立憲主義ではなかったこと、国民の権利が「法律の範囲」でしか保障されなかったこと、「統帥権の独立」がその後軍部の独走を許したことなど、明治憲法の持つ欠陥・弱点には、いっさい触れられていない。
同時に教育勅語(1890年)の「一旦緩急アレハ義勇公に奉ス」が「国家や社会に危急のことがあったときは、進んで公共のためにつくさなければならない」と「翻訳」して紹介される。教育勅語は「近代日本人の背骨をなすものとなった」と讃美される。
これにたいし、現行憲法の成立については、いかにもGHQから押しつけられたものであるかのように描き、明治憲法とくらべてどれほど進歩したものであるかの記述はない。
この明治憲法下での日清戦争、日露戦争も讃美の対象となる。日清戦争(1894〜5年)では、「日本が…清を圧倒し、勝利した」と述べ、勝因は「日本人全体が一つにまとまっていたこと」と総括する。しかしこの戦争が朝鮮半島の支配権をめぐる日・清間の帝国主義戦争であったことへの評価はまったくない。
日露戦争(1904〜5年)については「このまま黙視すれば、ロシアの極東における軍事力が日本が太刀打ちできないほど増強される」ので「政府は手遅れになることを恐れ」開戦を決意したという。日本防衛のための「正義の戦争」だったといいたいのである。これが、新興資本主義国日本とロシアとの間の朝鮮の領有をめぐる帝国主義戦争であったことは否定できない。現に日本はわずか5年後に軍事的恫喝によって朝鮮を「併合」=植民地化した。
そのうえ「歴史の名場面 日本海海戦」に1ページを割き、血湧き肉躍る「日本の大勝利」を謳歌するのである。
朝鮮「併合」も、欧米列強が「異議をとなえなかった」として合理化され、「植民地政策の一環」としてではあれ「鉄道、灌漑の施設を整えるなどの開発を行」ったとして、あたかも善政を敷いたかのようにいう。


―こんな「一国独善主義」の教科書で学んだ子どもたちが国際社会に出ていったとき、アジア諸国民との間でどんな紛糾をまきおこすか、想像するのさえ恐ろしい。
アジア太平洋戦争への無反省
アジア太平洋戦争の発端は、いうまでもなく中国東北部への侵略(1931年、「満州事変」)および中国本土への侵略(1937年、「日支事変」)であった。
これらについての「つくる会」教科書の記述は、さすがに「大勝利」を謳歌するわけにもいかず、あたかも「公平」を装うかのように、客観的な経過を記述している。しかし客観的描写が「公平」なわけではない。中国が日本を侵略したわけではなく、日本が中国を侵略したのだからである。
この過程で、南京大虐殺、中国人・朝鮮人の強制連行、従軍慰安婦などについて、ほとんど書かれていない。しかしこれらについては、いま争われている戦後補償裁判のおおくの判決で、その事実が「認定」されているものである。
法律家の立場から指摘したいのは、こうした中国侵略戦争が、当時の国際条約にも違反していたことである。
1922年の「9カ国(ワシントン)条約」は、列強による中国支配を合理化するものではあったが、すくなくとも中国の「主権、独立、領土・行政の保全」を約していた。
1928年には不戦条約が締結され、日本もこれに署名していた。それまで戦争は国家主権の行使とみなされ、戦争には正邪の区別がないという「無差別戦争観」が国際法を支配していた。これにたいしこの不戦条約は、「国際紛争解決のための戦争」(侵略戦争)を違法化した。
この条約に署名した日本が「満州事変」をおこしたのは、わずか3年後のことである。中国に対する日本の侵略が9カ国条約と不戦条約に違反し、このことが契機になって国際連盟体制を崩壊させたのであるが、日本が国際条約違反をおかしたことには触れていない。
1941年の真珠湾攻撃に始まる太平洋戦争。これにいたる経過―3国同盟、ABCD包囲網、仏印進駐、ハル・ノートなどに関する「つくる会」教科書の記述は、日本が「やむにやまれず」おこなった防衛戦争であったかのようにいう。戦前の国定教科書さながらである。そのうえ「日本の緒戦における勝利はめざましかった」から始まり、アジアの人びとがこれを歓迎したかのようにいう記述は、あの戦争を正当化する目的に出たものである。これは、「反ファッショ戦争」の勝利を基盤に形成されてきた戦後国際社会への挑戦にほかならない。われわれは、こんな「歴史観」をもつ子どもを世界に送り出してよいのであろうか。

「つくる会」歴史教科書の異常な「歪み」

「つくる会」には、2つの主張がある。
ひとつは「自虐史観からの脱却」であり、もうひとつは、「歴史を学ぶことは、その時代に人たちが何を考えていたかを学ぶことであって、当時のことを現代の人間が批判することではない」という「歴史観」である。これはいずれも誤りである。


「自虐史観からの脱却」とは、自国に不利な事実・情報を子どもに教えるな、ということである。しかし歴史の否定的側面を教えることは決して「自虐史観」などではない。ドイツの教科書は、ナチズムの犯罪や非人道的行為を詳細に記述している。しかしそれを学ぶドイツの子どもたちは、過去の過ちを率直に学び、自由と人権、民主主義を尊重する現代ドイツを信頼し、より深く愛することができるのである。
最近、町村外相は、日本とドイツでは事情が違うと主張。ドイツのばあいはすべてをナチスに責任を押しつけられるが、日本ではそうはいかないから、という。しかしこれは、同外相の歴史認識の浅薄さを示すものでしかない。ドイツのばあいでも、戦後の一時期、すべての責任をナチスに押しつける議論もあった。しかし現在のドイツでは、ナチスがドイツ国民全体の責任であることが共通の認識となっている。だからこそ、フランスをはじめとするヨーロッパ全体がドイツの謝罪を受けいれ、許容している。謝罪の「ことば」はあっても、それが真意ではないと疑われている日本との、決定的な差異がここにはある。こんな教科書が採択されるなら、アジア諸国民の疑惑はいっそう強まるであろう。
「歴史とは、当時の人々の考え方を学ぶこと」というのは、歴史を書くことの重さを理解していない論議である。「歴史を書く」という作業それ自体が、いかに客観性と公正さを目指そうと、つまりは執筆者の現在における世界観・価値観からまぬがれることはできないのである。歴史を書くことは、過去の人びとの思想や行動を叙述するとともに、それらにたいする現在の価値基準による客観的な評価をする行為である。だからこそ、歴史を学ぶことが未来を拓くことにつながるのである。
それに関していえば、じつは「つくる会」歴史教科書こそが、天皇制的伝統の復古を願い、「弱肉強食」の世界を理想化し、この国を「アメリカとともに戦争のできる国」に改変したいという、執筆者の偏頗で強固な「現代の価値基準」につらぬかれているのである。そこでは、現在の執筆者らの「願望」に一致する「歴史的事実」のみがとりあげられ、それをつうじて彼らの現在の思想が表出されている。
これでは、執筆者らの「意見表明」ではあっても、とうてい歴史ではないのである。

おわりに

以上、法律家として黙過できない重大な問題のみを指摘した。人権や平和、国民主権に価値を見出さず、偏狭なナショナリズムに囚われた公民教科書と同じく、歴史教科書もまた教科書としての適格性を有していない。
公民教科書と同様、「つくる会」の歴史教科書も子どもたちには手渡せないのである。
2005年5月

編 集 自由法曹団教科書問題プロジェクト
発 行 自由法曹団
〒112-0002 東京都文京区小石川2−3−28−201
Tel 03(3814)3971 Fax 03(3814)2623
URL http://www.jlaf.jp/

 次へ  前へ

▲このページのTOPへ      HOME > 政治・選挙・NHK9掲示板



フォローアップ:


 

 

 

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。