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「自分の認識」と「そのように自分が認識しているという思考の構造」を両方見るという事ですか?
http://www.asyura2.com/0502/senkyo8/msg/1162.html
投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 3 月 26 日 23:29:54: YdRawkln5F9XQ

(回答先: だから、それを「権力闘争」と見るか、「共存」と見るか、「相互依存」とみるか・・・ 投稿者 ODA ウォッチャーズ 日時 2005 年 3 月 26 日 22:33:33)

ODA ウォッチャーズさん、レス光栄です。

>だから、それを「権力闘争」と見るか、「共存」と見るか、「相互依存」とみる>>4>か・・・

情報発信自体はまずは自分の言葉を他者に対して押し付ける行為だと思います。
相手がそれを「押し付け」と取るか「教え」と取るかは別問題です。
そして、もし、相手がそれを「ありがたい教え」だと受け取ったとしても、それは自分が発した言葉によって相手の認識を自分の認識の方に手繰り寄せたという事になるのです。
合意というのは対等のように聞こえますが、合意内容を先に提示した側に相手が従ったという事じゃないですか。
全く対等の合意などあり得ないと思います。
いずれかが妥協しているのです。
両方とも妥協していたとしても妥協の程度は異なるでしょう。

http://www.asyura2.com/0502/senkyo8/msg/1161.html
>投稿者 ODA ウォッチャーズ 日時 2005 年 3 月 26 日 22:33:33: ilU7eLmFtsv5I

>(回答先: 情報発信自体が権力闘争の一部では? 投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 3 >月 26 日 21:30:21)

>単なる「文字の羅列」と見るか、それは、ポスト・モダン以降の哲学の系譜から見れ>>ば、認識の枠組みの相違に依る、と言うことを言っているのです。

「単なる文字列」と見る人はあまりいないと思いますが。
ポスト・モダンの源流はコジューブなのでしょうか?
コジューブはネオコンの思想的支柱であるレオ・シュトラウスと友人であるようですよ。

>ソ連崩壊後も日本において特に存在感を維持している唯物史観論者は「権力闘争」と見>がちですし、ユートピア論者は「共生・共存」と見るでしょうし、「システムを重視す>る見方」では、何等かの相互依存関係を持ち出すでしょう。

私は言葉の中に潜んでいる権力性というものがあると思うのです。
言葉によって存在に名を付ける事は存在を支配する第一段階の行動だと思うのです。
例えば、「テロリスト」というレッテルをレジスタンスに貼る事によってレジスタンスを殺してもいいという風に兵士の意識を誘導するのです。
名付ける事自体で権力の行使が始まっているのです。
「私は誰?」と問う人間は他者から支配されるそのされ方を考えているのです。
「私は女」と思った時に「将来、結婚して子供を生むのが一番幸せ。」と思うように。

> その自分の作る枠組みを、できるだけ自分で客観化して、相手にメッセージとして伝>えること、これが、ポスト・モダン以降のマナーだと思います。

そうしていきたいと思います。
「自分の考えはこうだ。」という事と「私の思考方法はこうだからこういう考えを述べたのだ。」という事を同時に述べたいと思います。

> ですから、「役割論は”実態”を生みますが、”実態”は役割論をほとんど生まな>>い」と言う表現が出てくるのです。

これは、「ジャーナリズムは現場に行って第一次情報を取ってくるべきだ。」という役割論は、勇敢なジャーナリストを生み出すが、現にジャーナリストとして働いている人の中から「ジャーナリストはかくあるべし」という役割論はほとんど生まないというような意味ですか?

> 結局、「存在のための権力闘争である」と言うことは、「事実」らしきものを「指し>示して」いるのではなくて、例えば、「唯物史観」を相手に強要していることになる。

自分の認識を認めてもらう為に発言し、賛同を得て、自分の情報界内の居場所を確保するという意味ですが。

>この言葉の強制の問題こそ、フランス系のポスト・モダンの主要なテーマでした。(解>決しているわけでは、ないと思います。)

ミッシャル・フーコーの「言葉と物」はそういう問題意識の本だったのではないでしょうか?私は何がなんだかチンプンカンプンだったのですが。

> 発信による強制の問題は、物理的制約の問題の方が大きいでしょう。時間とか、メモ>リーとか、記事制限とか・・・

ちょっと意味はつかみかねますが。

> ここでの主要なテーマとは、論点が、少し、ズレテイル、と思います。

木村さんの「ジャーナリズムは立派なものでは無い。」という問題提起から始まったんですよね。あなたは「そのような話をしているのでは無い。」という事ですよね。
私は全ての情報発信は立派であるかどうかという観点では評価できないと言いたいのです。
立派だと判断するのが既に党派的な立場だからです。
全ての情報発信は自分の立場を確保する為のものだと言いたいのです。
赤ん坊が母親にかまって欲しいから泣くというのと情報発信は同じです。
人の為によかれと思って発信していたとしても同じです。
それ自体が自己実現の行為だからです。

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