現在地 HOME > 政治・選挙8 > 1161.html ★阿修羅♪ |
|
(回答先: 情報発信自体が権力闘争の一部では? 投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 3 月 26 日 21:30:21)
単なる「文字の羅列」と見るか、それは、ポスト・モダン以降の哲学の系譜から見れば、認識の枠組みの相違に依る、と言うことを言っているのです。
ソ連崩壊後も日本において特に存在感を維持している唯物史観論者は「権力闘争」と見がちですし、ユートピア論者は「共生・共存」と見るでしょうし、「システムを重視する見方」では、何等かの相互依存関係を持ち出すでしょう。
その自分の作る枠組みを、できるだけ自分で客観化して、相手にメッセージとして伝えること、これが、ポスト・モダン以降のマナーだと思います。
ですから、「役割論は”実態”を生みますが、”実態”は役割論をほとんど生まない」と言う表現が出てくるのです。
結局、「存在のための権力闘争である」と言うことは、「事実」らしきものを「指し示して」いるのではなくて、例えば、「唯物史観」を相手に強要していることになる。この言葉の強制の問題こそ、フランス系のポスト・モダンの主要なテーマでした。(解決しているわけでは、ないと思います。)
発信による強制の問題は、物理的制約の問題の方が大きいでしょう。時間とか、メモリーとか、記事制限とか・・・
ここでの主要なテーマとは、論点が、少し、ズレテイル、と思います。