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植草一秀被告(44)の判決公判が3月23日、東京地裁で開かれ、大熊一之裁判長は「被告人の弁解供述は信用しがたく、犯罪事実を優に認定できる」「警察官の証言の信用性は高い」などとして罰金五十万円、手鏡一枚没収(求刑懲役四月、手鏡一枚没収)を言い渡した。
植草氏は、判決に対して控訴しないことにしたという。
控訴しないからと言って彼が罪状を認めた訳では勿論ない。「裁判で闘うためには、膨大な時間とエネルギーの投入が必要。日本はいま国の衰亡にかかわる重大局面にあり、この問題に力を振り向けることが、自分に課せられた使命と感じている」という。要するに裁判をとるか仕事(使命)をとるか、仕事を優先させたということである。
だがそれにも増して重大なことは、司法そのものに対する不信感である。どんなに警官の証言の矛盾と不合理を立証したところで、「実質的な吟味の無い、あまりにも空虚な判決を眼にして・・・」彼は裁判を続ける意欲を喪失したのである。
もう一つは一部無責任なマスコミの好奇心基づく不適切な報道、無数の虚偽報道、これ以上報道被害を受けたくないと言う。
判決は不当、恥ずべきお粗末判決である。我々は司法の世界くらいはまだ正義が優先されると思っていたが、甘かった。司法の権威?そんなもの期待する方が無理か?
せめてマスコミに少しばかりの判断力と正義感があれば、なんとかならなかったものか
と残念に思う。
この判決には政治家の陰謀説もちらついている、政界から官界からマスコミにいたるまで、いまの日本は腐蝕列島だ。
たいした「力」にも「慰み」にもならないかもしれないが、せめてネット上で以下この裁判の不当性を述べておこう。
何故、証拠もなしに警官の証言だけで、有罪にもちこめるのか。
どうして植草氏の後ろにいた警官が、植草氏の前面の行為を見抜けるのか、いかがわしい判決である。
植草氏が手鏡で覗いていたという第三者の証言があるわけでもない。尾行していた警官が「覗き見をしていたところを見た」と言うのであれば、何故警官は覗き見をしている現場で捕まえなかったのか。偶々署に連行してみたらポケットから手鏡が出てきたから、長時間勾留して自白に追い込んだ。
大熊一之裁判長は憲法第38条さえもよく知らないらしい。
「何人も、自己に不利益な供述を強要されない。強制、拷問若しくは脅迫による自白又は・・・これを証拠とすることができない。何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。」
植草氏の主張を否定し、何故警官の主張の方が信用できるの? 植草氏を捕まえたのは、神奈川県警のヴェテラン刑事である。ヴェテラン刑事だから信用できるの?裁判長は、神奈川県警の過去の不祥事のことを全く知らないらしい。神奈川県警の過去の目を覆いたくなるような不祥事の数々:覚醒剤、犯人隠避、同僚警官のリンチ、証拠品の窃盗、検挙した女性への金品強要などあげればきりがない。裁判長が神奈川県警の過去の不祥事の系譜を知っていれば、ヴェテラン刑事だからこそ信用性に疑問をなげかけるべきである。
神奈川県警だけではありません、日本全国警察の不祥事が多発している。警察官のモラルは一般人より低いのとちがいますか。裁判長はまずこの警官を疑ってみるべきだった。
それでも、あたまから警官の証言を信じ、植草氏の供述を信じようとしていないのは、一体何故なのか。。
東京地裁の裁判長の大熊一之は、「被害者に与えた精神的打撃や、社会への影響も少なくない」と判決で植草氏を批判したらしい。被害届も出ていないのに、どうして被害者に与えた精神的打撃がわかるの?裁判官は想像で言っちゃあきまへん。被害者の精神的打撃とは何を根拠にしているのだうか。
「おおくまさん!あまりにこじつけと、情緒が過ぎませんか?」
ここまでくると裁判長の資質が疑われる、裁判官失格?裁判所の権威も失墜するぜ。
裁判長は、刑法の大原則「疑わしきは罰せず」ということさえも、理解していないらしい。
これでは、都迷惑防止条令は、「成人男子は女子高生の後ろを歩いてはならない。」「女子高生の後ろを歩く場合は、3メートル以上の距離を保つこと」という新条令が必要になる。そのうち、「男たるものは、3m離れて女高生の陰を踏まず」という新格言がうまれるかもよ。