現在地 HOME > 昼休み5 > 888.html ★阿修羅♪ |
|
(回答先: 人間の認識はどこまで行っても断片でしかない。 投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 11 月 05 日 22:00:28)
1 主観的真理しか無いといっても、それなら主観的真理しか無いことを確認するには、
御前がそれを「確言」し、かつ論証する以外に無いだろう?
さもないと、主観的真理が無いとの「強い主張」が曖昧化すると思うの だ。
‥‥全てを曖昧なままで話を進め、(或いは勝負し、)終わらせようとしたって、そうはいくかッ(笑)
2 ところが主観的な真理しか無いとすれば、確言も論証もできない(論証すれば、その真理のみが今、客観化する)んだよな?
3 してみると、この事態自体をディレンマとし、そこで話を終えてもいいかもしれない。だが、
そういうことならば“主観的真理しかない世界”は在りえない(即ちディレンマを招くので述べ
えない)テーゼなのだ、とのメタテーゼにもっていき、結論づけてしまっても良さそうなものである。
何しろ普遍的断定まで許されるのでは、客観をも認める立場のほうが便利‥‥というか強いだろう。
そんなわけで、真実の断片も無い御前の「説」には、事実に連動する面での
リアリティは感じ難く‥‥わけても客観主義者(ここでは主観と客観とを画して考え
ようとする立場)にとっては、悪いが‥‥この遣り取りの「設定」が虚構に思えるのだ(笑)
(4)
主張(持論)を誰かに伝えたくても(そして伝えたくてかつ)誰も付いて来ないのであれば、リアリティを説く者
自身がリアリティの醸成に失敗しており、しかも原因が論理の破綻と糊塗である‥‥との“哀しい”実相なら?
と、こちらはハッキリ言えて、そちらはハッキリ言わなくてよいのだな。(先んじて在る「自己」設定に、互いは従っていて?)