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(回答先: やはり・・・ 投稿者 膝枕 日時 2005 年 5 月 27 日 00:40:42)
いま、ここに書く事さえ出来ない位に荒んでいた事がありまして、そのきっかけは、大人達からの誤解を出発点とするものへの反発心であったと思います。
同じような心情の者と近しく遊ぶうちに、とんでもない不良になっていました。
でも、他人はどう思うか分かりませんが、いじめなどはしなかったと思ってはいます。
先生が大して悪くも無い行為を泣くまで説教していると、教師に突っかかって行ったり、街で他校の生徒や高校生に絡まれたとなれば、報復しに行く・・・。
とにかく、かかわりのある者の心を想い計って動いていたと思うのです。
同じクラスの女子生徒の頭を拳で殴った先生を私が殴り返したり。
とにかく、どうしようもない少年時代だったと思います。
でもね、膝枕さん、あの頃、人間の顔がとても色とりどりだったんですよ。
困っている、切ない、悔しい、怒り、笑い、楽しい。
私のアンテナが感度不足になったのか?と思うくらい、最近の街行く人には色がない。
精神的なものをどんなにポーカーフェイスに徹していても、基本的な感情は伝わってきていたと振り返ることがあります。
多感な少年時代ゆえの感度だったんですかね。
今、北海道に来ていて、ここのどの街でも、人達の顔に色を感じるんですよ。
私の感度も少し戻ってきたのかな、とうれしく思います。
他人を本気で殴ると、自分の手も物凄く痛い。
殴った後の気持に罪悪感がいつまでも残る。
心の傷は重要ですよ。
他人の痛みを知る上で、同じとまではいかなくても、同調できる経験がなければ、他人の痛みを知る事はやはり難しい。
申し訳ない、本当に文才が無い。
全くまとまっていないのですが、改めて。