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(回答先: うまく表現できませんが。 投稿者 ヒゲダンディ 日時 2005 年 5 月 27 日 08:20:27)
>でもね、膝枕さん、あの頃、人間の顔がとても色とりどりだったんですよ。
それも確かにあるでしょうけど、それ以上にヒゲダンディさん自身の感受性が「あの頃」は誰よりも高かったということだろうと思いますよ。普通の人が当たり前の事としか感じないことでも感受性の高い人には「放っておけない一大事」というように受け取ったりして。その感受性は少年時代青春時代には誰もが多感になり高感度にはなりますが、それでも感受性の差は人によってかなり異なるんじゃないでしょうかね。
>困っている、切ない、悔しい、怒り、笑い、楽しい。
>私のアンテナが感度不足になったのか?と思うくらい、最近の街行く人には色がない。
これは両方でしょう。最近の人には「色」が無くなっていることも確かでしょうし、ヒゲダンディさん自身の感受性そのものも少年時代と比べれば感度が落ちていることもあるでしょう。でも落ちたとしても、依然としてそういう感受性は未だに十分あることもまた確かでしょう。
その「感受性」ですが、単に高い低い、鋭い鈍いというだけでなく、「どういう種類の事に関して」高い低いか鋭いのか鈍いのか?ということがあると思います。その意味でヒゲダンディさんと私では感受性のベクトル方向が(たぶん)同一方向ではありません。
さらに、その感受性は高い方が良いか鋭い方が好ましいか?と問われれば一概に良いとは言えないという気がします。短波ラジオのように感度がよければダイヤルを廻すと全領域電波で溢れていて次々に飛び込んできますが、感度の悪い受信機ではダイヤルを廻しても「シーーーーンかザーーーー」のままで何も電波は受信できない。感度が悪い人は聞こえないのだから「無い」と同じなので心も乱れない。逆に感受性が高い人にあっては、些細な出来事にも」「一大事」と感じてしまう。心休まる時などなくなってしまう。物事には表裏があるように長短もあるということです。でも私自身は感受性が高かったことを神様に感謝しています。
>精神的なものをどんなにポーカーフェイスに徹していても、基本的な感情は伝わってきていたと振り返ることがあります。多感な少年時代ゆえの感度だったんですかね。
心というのは個人の脳内だけでの活動ではなく、「場」にも同時に伝わっているもののようですから、相手の感情など感じるのは不思議でも何でもありませんものね。言葉を発しなくても表情だけで相手の感情がどういう状態かはわかってしまう。もっと言えば、後ろ向きで顔が見えなくても感じる人は分かってしまったりするんでしょう。
ところで、北海道が気に入られたようですね、景色、食べ物、そして人柄のそれぞれが。
北海道は、歴史的に移住者が大半ですから、よそ者意識は本州などの田舎とはまったく異なりますね。
話は変わりますが・・・北海道は仮住まいということでしたが、手術の折には本州に戻られてそのまま留まられるのでしょうか?それとも回復したらまた北海道で生活をされるのでしょうか?