現在地 HOME > 管理運営8 > 1068.html ★阿修羅♪ |
|
(回答先: ですから、このレスしだいと書いてますね 投稿者 考察者K 日時 2005 年 8 月 13 日 08:00:26)
現在の多数派が「概ね正しいだろう。」と推論するのは革命の立場では無い。
貴方は民主主義者(多数に従う)であるかも知れないが革命家では無い。
多数派形成の為に自らの主張をかなぐり捨てるのは「現実的」権力獲得路線であっても
革命路線では無い。
私は天皇制反対の意思表示としての「君が代を唄わない」闘争を少数にしか賛同が得られない闘争だとしても支持します。
他に天皇制強化に抵抗する闘争があったとしてもこの闘争もまぎれもなく1つの闘い方であるからだ。
「唄わない」ぐらいで1ヶ月の停職処分にするという事自体が天皇制の強権的体質を示すものだ。
ここで抵抗できなければもっと強権的になるでしょう。
この事をずっと書いているつもりですが貴方には一向に意味が分からないらしい。
というのも貴方は「左派勢力なるもの」をいかにして多数派にするかばかり考えていてその為には少数意見である天皇制打倒は今出す事は不利になると思うからだ。
天皇制はマスメディアやあらゆる機会を通じて宣伝されている権力強化の為のイデオロギー装置である。
貴方は逆に反天皇制運動こそがイデオロギー的なデッチ上げ闘争だと思っている。
理解が全く逆なのだ。
天皇制は国民に国家の為に命を投げ出させる為のイデオロギー装置なのです。
天皇の名の下に多くの日本人やアジア人が戦争に借り出され多くの人が死んだ。
国家を守るという名の下に軍需産業などが金儲けをしたまでだ。
アメリカが何故天皇制を解体しなかったのか?
天皇制こそは次にまた日本人を戦争に借り出す重要な道具だからだ。
靖国神社は国家の為に命を投げ出した者を顕彰する施設である。
国家が国民の命よりも大事だというイデオロギーの存続の為に維持され国家主義イデオロギー宣伝運動として歴代首相の参拝は行われてきたのだ。
天皇制を保管する為に。
これだけ書いても貴方はまだ天皇制の問題を理解できないのでしょうか?
>ですから、このレスしだいと書いてますね
貴方は自分の文章の中に矛盾する文章をちりばめておいて
都合がいい方を持ち出して「こう書いている。」と書いているだけだ。
タイトルが「これが、最後です。」と書けば普通は「捨て台詞」と捉えます。
「但し、レスに値するレスがあればこの限りではありません。」
というのであれば最初から「これが、最後です。」とは書かない方がいいでしょう。
>http://www.asyura2.com/0502/kanri8/msg/1067.html
>投稿者 考察者K 日時 2005 年 8 月 13 日 08:00:26: JjkI8nWTpj0po
>(回答先: 「これが、最後です。」と勝手に終わるのはやめてもらえませんか? 投稿>者 ワヤクチャ 日時 2005 年 8 月 12 日 23:42:45)
>>ワヤクチャさん 忙しいようですね
忙しいですよ。
小泉は明日の8月15日の常識外れの時間帯に参拝をするかも知れませんね。
また、それに対してテロがあるかも知れません。
テロがあれば自民党に有利に働くと思っております。
>Kは論理的に思考できるかを問題にしています。
私の論理のどこおかしいのか言って下さい。
>「君が代反対運動」の是非は一例であり、個人の主義主張問題ですから、ワヤクチャ>さんにその主義主張を変えろとは書いていません。
>何度か書いているはずですが「個人が何かを信ずることは自由」なのです。
>ですから、Kは「ワヤクチャさんがどのような意見」を持っていても、そのことで対>話を拒否しようと思っていません。
>しかし、対話をしても何も得るモノがないならば、これは時間の無駄です。
貴方にとって「得るもの」って何ですか?
「君が代を唄わない闘争は弾圧を受けるからやめといた方がいい。」
という事を私が受け入れない限り「得るものが無い。」と思っているダケでは?
私は弾圧を受けようがやらざるを得ない闘争というものはあると言っているのです。
「君が代を唄わない闘争」に対する弾圧に関しては弾圧する方に抗議すべきであって貴方のように闘争をする側を非難すべきではありません。
「式をだいなしにした。」などと。
得るものが無いとすればこれは明確な立場の違いだからお互いに譲らないって事でしょう。
で、私は貴方が国家権力に屈服していると評価しております。
これはしょうが無いでしょう?
>Kの意見に賛成の人であっても対話は打ち切るしかありません。(例外的に多数派形>成の為に我慢して世間話をするという手法はあるでしょう)
貴方のような態度の人が多数になっても世の中は根本的には変わらないでしょう。
私は根本的に変えようと言っているのです。
改良闘争で一時的に手を結ぶ事はあるでしょう。
しかし、それはあくまで一時的な共闘です。
この阿修羅は根本的な変革を語る場だと思っておりますので、貴方のような中間的な運動論はここではあまり価値がありません。
具体的な運動の場で語っていて下さい。
一般的に貴方のような運動論をここで展開してもあまり意味は無いのです。
>要は、ワヤクチャさんがいかに論理的な考察ができるか?を見定めているのですが、>今までの経過に置いては「これ以上の対話は意味がない」との判断にしかなり得ない>と言う事です。
では、私の論理がおかしい点を指摘して下さい。
>>【「これが、最後です。」と勝手に終わるのはやめてもらえませんか?】
>Kが対話において「何も得るモノが無いと判断」してもなお続けることには無意味だ>と言うことです。その上で【このレスにまともなレスが返ってこない場合】ともして>います。
>まともなレスとは「君が代反対運動を捨てること」と言う意味ではありません。
>逆に言えばKに「君が代反対運動に参加しろ」と言うかのような主張はペケです。
>繰り返しますが「思想信条は個人の自由」です。
って言うか何故「君が代反対運動」に反対なのですか?
それが少数派の運動だからだとしか貴方は言っていないのですよ。
だから、少数意見を多数派にするのが革命だと言っているのです。
最初から大向こうウケする主張ばかり並べるのは革命運動ではありません。
そんなものはほっておいても誰かがやっているのです。
そんな事をワザワザこの阿修羅で言う必要は無いでしょう?
「それは少数意見だから主張しない方が得策だ。」なんて。
ここは少数意見を述べて人々を説得する場なんです。
>【多数の意見=正しい意見とは限らないと書いています。】と【「これだけ、多くの>人と摩擦を起こすのは、起こす人に問題があるのだろう」という結論です。】を同一>問題として認識し矛盾とするのは、どのような思考過程だろう?とマジに考え込んで>しまいます。
「多数の意見=正しい意見とは限らない」のであれば
「これだけ多くの人と摩擦を起こしても、起こす人に問題があるとは限らない。」
というのが論理的な一貫性では?
>多数の意見とは間違っている可能性はありますが大衆の意識の問題です。
>対して「個人の引き起こした摩擦」は個人の意識の問題です。
>個人が正しく、摩擦を引き起こしたその他大勢の方に問題がある可能性も僅かではあ>るが「ある」としても、Kは「多数の意見が正しいとは限らない」としていますの>で、『どこにも矛盾はありません』
だったら、
「その他大勢の方に問題があるかも知れない。」であって
【「これだけ、多くの人と摩擦を起こすのは、起こす人に問題があるのだろう」という結論です。】と断定的に語るのはおかしくありませんか?
貴方の方が論理的で無いのでは?
>>【起こす人に問題があるのだろう」という結論です。】
>と言う部分は「推論」の方が適切かもしれませんが、ほぼ確定したと結論せざるおえ>ないのかもしれません。
「確定した。」根拠は?
「これだけ大勢の人と摩擦を起こしたから」という理由では?
だったら、貴方は「大勢(と言っても4〜5人)」が「ワヤクチャを批判するのだからワヤクチャの方に問題があるのだろう。」って断定的に語っているのですよ。
「多数=正しい」と思っているじゃないか。
何言ってんだい?!
アンタのどこが論理的なんだい?