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(回答先: [福岡沖地震]「列島の全域が警戒対象地域だ」 読売社説 (読売新聞) 投稿者 愚民党 日時 2005 年 3 月 21 日 03:59:11)
玄界島の400人、離島避難 続く余震、走る地割れ
震源地に近い玄界島(福岡市西区)。周囲4キロの小さな島のあちこちには地割れができ、住宅は何軒も倒壊していた。島の民家約220棟のほとんどが、何らかの被害を受けた。道路には屋根から落ちた瓦が一面に広がっていた。住宅の壁は崩れ、道ばたの自転車もなぎ倒されていた。港の岸壁の一部は大きく陥没していた。
数え切れないほどの余震が起きる中、消防隊員や警察官、自衛官らが次々と上陸し、避難の誘導や逃げ遅れた人を捜すパトロールを行った。
島の住宅は斜面に密集して立っている。港近くの民家は土台が崩落し、傾いて半ば宙に浮いた状態だった。近くの男性(50)は、かすかな声から、その家に住む80歳を過ぎた女性が逃げ遅れているのを発見。消防のレスキュー隊を呼び、ロープを使って救助してもらった。「助け合いは島では当たり前のこと」と、ほっとした様子だった。
丘の上に立つ玄界小学校は門柱が傾いていた。植木鉢が散乱し、「危険」の張り紙があった。廊下では教科書の入ったロッカーが倒れ、校庭には幾筋もの地割れが走っていた。
福岡市は全島民約700人に自主避難を呼びかけた。約400人が20日中に島から避難した。百数十人は地震当時、島にいなかったとみられる。残った約120人は船の手配ができ次第、漁協の役員ら約10人を残して島を離れるという。避難には市営の渡船だけでなく、海保の巡視船や消防艇も使われた。
一家6人で島を離れることにした玄界中学校教諭の宍田能久さん(45)は、自宅の居間でテレビを見ていて激しい揺れに襲われた。「家は中も外も、とにかくぐちゃぐちゃになりました」
ふすまが外れ、押し入れの中身が部屋に飛び出した。揺れが収まった後、津波の危険性もあったため、家族で小学校のグラウンドに避難した。
激しい揺れで小学校も中学校もグラウンドには地割れが走り、建物に亀裂が入った。
「学校のことが心配。校務をしなければならないという気持ちでいっぱいだが、家族からは『一緒に来てほしい』と言われた」。悩んだ末、避難を決意した。
海難事故や災害に備え、島の青壮年で組織されている「救難組合」のメンバー56人は午後6時半に、公民館に集合した。点呼をとった後、代表の梅田土一さんが「今からは何があるか分からんけん、幹部を中心に数人ずつの班に分かれて、すぐに動ける態勢をとろう」と指示。メンバーは公民館に待機し、不測の事態に備えた。
http://news.goo.ne.jp/news/asahi/shakai/20050320/K2005032000384.html