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(回答先: Re: 帝国を補完するものとしてんマルチチュード 投稿者 バルタン星人 日時 2005 年 3 月 22 日 21:43:35)
バルタン星人さん、ひさびさにバルタン節が見れて楽しかったです。
小生のマルチチュードに対する理解は、最初はオッと思いましたが、結局は帝国を補完する一領域にすぎないのかなというものです。
柄谷も『帝国』にはたしか批判的でしたね。
資本とネーションステートの関係は情報とレガシーなメディアの関係に似ているなというのが、最近の関心事です。
前者における貨幣は、後者ではネットになると。
いわば情報=資本主義ですね。
そこでは『帝国』はちょっとレガシースタイルだなあと感じています。
こんなことを考えるようになったのは、マルクスの『資本論第一巻』が今村仁司らの手で新訳されたからです。
現代風に訳し直された『資本論』は、なかなか新鮮で、読み応え十分です。
筑摩書房のマルクス・コレクションの一冊(上下巻)で、これまで旧弊な日本語でしか読めなかったマルクスの著作が続々と新訳で登場する予定で、これは大いに楽しみです。
平凡社からは理想社版の『純粋理性批判』が補訂されて登場するなど、哲学思想界は温故知新ブームのようですが、これも『トランスクリティーク』の余波なんでしょうか。(笑)
吉本隆明といえば、偶然、手近にあった『吉本隆明全集撰3』をぱらぱらとめくっていたら、1986年の『ORGAN』用に書かれた「権力について」の中で、ガタリ/ネグリ(『自由の新たな空間』)批判を展開しているのが目に入りました。
「現在の植民地主義に対する解放闘争、低開発状態からの解放闘争の仕方を否定できなかったならば、スターリン主義とファシズムのふたつの体制の、半世紀にわたる正義派ぶった残虐の歴史を否定しないことと同じなのだ。」
なかなかの慧眼で、結局ネグリは『自由の新たな空間』から先へ進んでいなかったのか、という感じです。(笑)
そういえば、昨年暮れに吉本先生とお会いする機会があり、まだまだ元気そうで、ガンコ親父ぶりをこれからも発揮してほしいと願わずにはいられませんでしたね。