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(回答先: お笑いアウシュヴィッツ(1) 投稿者 西岡昌紀 日時 2005 年 3 月 08 日 18:22:15)
・・何度か触れている通り、今日アウシュウィッツを管理しているのは、
ポーランド政府の意向を反映した、アウシュウィッツ博物館という組織
です。この組織は、二つのアウシュウィッツ収容所をともに管理してい
ますが、博物館それ自体は第一アウシュウィッツに在り、その収容所の
建物の中で、色々な物品を展示したり、アウシュウィッツに関する資料
を管理したりしています。その第一アウシュウィッツに、今、お話して
いる「第一死体焼却棟」が在る訳ですが、二つのアウシュウィッツ収容
所に「現存」する複数の「ガス室」(またはその残骸)の内、最も良く
建物の形態が「保たれている」のは、この第一死体焼却棟の「ガス室」
なのです。ところが、この第一死体焼却棟に関するアウシュウィッツ博
物館の説明には、根本的な問題が有るのです。それは、この建物が当時
そのままの物なのかと言う点について、博物館側が矛盾する説明をして
来たと言う事なのです。つまり、先に挙げた様々な不合理全てに目をつ
ぶったとしても、この建物が当時そのままの状態になければ、この建物
に「物証」としての価値など有りません。当然、と言うべきでしょう。
アウシュウィッツ博物館は永年、この第一死体焼却棟はドイツ人がアウ
シュウィッツに居た頃のままの状態に在ると説明し続けて来ました。と
ころが、そのアウシュウィッツ博物館は、この建物が持つ様々な不合理
について追求されると、「この建物(第一死体焼却棟)は復元された物
です」等と言って、弁明する事を繰り返して来たのです。一体、この
「ガス室」は、当時そのままの物なのか、それとも後から「復元」され
た物なのか?この根本的な問いに対するポーランド当局自身の答えが、
こんな物なのです。そして、1990年代には、博物館の責任者がはっ
きりと、この「ガス室」は「再建された物」だと言い、戦争中そのまま
の物ではない事を認める様に成っています。しかし、かつては、「当時
のままの状態に在る」と言っていたのですから、これは、話が変わった
としか言い様の無い変化です。譬えて言えば、再建された金閣寺を京都
市が「当時のままの建物」と説明していた様な物です。そして、それを
観光客に問い詰められて、「実は再建した物です」と認めた様な物です
が、こんな「説明」をしたら、誰であれ、信用されなく成るのは、当然
です。その上、この建物の場合は、その「再建」が信用出来ると言う保
証は何も無いのです。それどころか、戦争直後の写真を見ると、明らか
に現状と違う事が分かるのです。例えば、前頁の写真を御覧下さい。こ
れは、「定説」側のプレサックと言う論者の著作に載っている、194
5年のこの建物の写真(上)ですが、私が94年に撮った写真(下)と
比較して下さい。あの煙突は、戦争直後には立っていなかったではあり
ませんか。
(西岡昌紀「アウシュウィッツ『ガス室』の真実・本当の悲劇は何だっ
たのか?」日新報道・1997年 109〜112ページより)
http://zenkoji.shinshu-u.ac.jp/mori/dohc/dohc9708.html