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「虐殺」と言う言葉は、不思議な言葉です。人が殺される事は、全て「虐殺」だと思うのですが、それでも、あえて「虐殺」と言ふ言葉で、或る殺人を他から区別する理由は
何なのか?と思はずには居られません。
しかも、この言葉(「虐殺」)は、どうにでも解釈可能なので、議論を誤魔化す事に
使われる傾向が有ります。ここで論じられている「ホロコースト」にしても、これを
「ユダヤ人大虐殺」と訳すと、何の事だか分からなく成る。例えば、戦場で、ユダヤ人の兵士が、戦闘中に弾に当たって死ぬ事も「ユダヤ人大虐殺」なのか?ソ連戦線で、民間人を装ったユダヤ人のパルチザンが処刑される事も「ユダヤ人大虐殺」なのか?等々、考えてみると、何が「虐殺」で何が「虐殺」でないのか、本当に意味が曖昧です。
以前、こんな事が有りました。1996年に、新宿のライブハウス、ロフトプラスワンで鈴木邦男氏と対談した事が有ります。ところが、それからしばらく経った頃、或る雑誌で、彼が、私との対談について、一文を書いたのですが、それを読むと、鈴木氏は、収容所でユダヤ人が病死した事も虐殺ではないか、と言った意味の事を書いているのです。正直言って、非常に疑問を持ちました。失礼ですが、鈴木氏は、論点をぼかそうとして居るとしか思えませんでした。何より、当夜の対談の中では、そんな議論は無かったと記憶するのですが、その記事の中では、そう言う議論が有ったかの様に書いてある
のが変だな(笑)と思ったものでした。