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(回答先: 素朴な疑問:発疹チフスの流行による収容者の受け入れ停止、収容所の閉鎖、責任者の処分等の処置はとられたのでしょうか? 投稿者 無駄一 日時 2005 年 2 月 27 日 14:16:04)
戦争末期に輸送・食料事情が悪化する以前は、危機的な大流行はなかったよう
です。
ビルケナウ・カレンダー
http://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/birkenau.htm
から、まだ戦局が悪化していない1943年の状況を見ると
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43/1/9
カトヴィツの市行政長、チフス患者をアウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容
所に搬送する許可をヘスに求める。[周辺地区もアウシュヴィッツの害虫駆除
能力、チフス対策に期待]
43/1/13
ヘス、カトヴィツの市行政長の1月9日のチフス患者搬送許可要請を拒否(「病
気の囚人を受け入れることで、新しくチフスの疫病が発生してしまう危険性が
非常に大きくなってしまいます」)。
43/1/21
カトヴィツ警察署長、チフスで死亡した患者の死体をアウシュヴィッツ収容所
に搬送することを決定。)
[周辺地区のチフス死亡者もアウシュヴィッツで焼却]
(歴史的修正主義研究会 [http://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/])
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周辺地域全体がチフスの流行に見舞われており、アウシュヴィッツの衛生施設
が当てにされていたこともあったようです。
1944年末、ソ連軍の進撃で前線が近づき、アウシュヴィッツ収容所が放棄され
てドイツ国内への疎開が開始されると、交通インフラの崩壊した状況でベルゲ
ン・ベルゼンなどの収容所で大量の死者が出て来ます。
ベルゼン裁判 ベルゼン収容所長クラマーの証言
http://www.bunkyo.ac.jp/~natasha/belsen/belsen_19.htm