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(回答先: 地デジは不要? 「ネット以前の発想」堀江社長発言 (産経新聞) 投稿者 愚民党 日時 2005 年 2 月 27 日 05:41:30)
「地上デジタル放送は必要ない」という挑発的なホリエモンの発言が、またまたテレビ局経営者側を刺激したようだ。
しかし、記事中の局側の発言を見るとわかっていないのはテレビ局側だ。
「デジタル化があるから、あそこ(ライブドア)の(入り込む)余地があるんじゃないのか」(テレビ東京社長)
「地上デジタルの時代になると、テレビがネットを完全にのみ込むときがくると思う」(フジテレビ社長)
「ネットとの融合はデジタルテレビのあくまで一機能でしかない。一方、デジタル化には電波の有効利用や、パソコンを使いこなせない人に行政などの双方向サービスを提供するなど多くの目的がある」(地上デジタル放送推進協会事務局長)
「堀江氏がテレビ局を批判する際に持っている『融合』のイメージは、BSデジタル放送が始まる前の、四年前のセンスではないか」(あるテレビ関係者)
「BSデジタルでの苦い経験から、テレビ局はネットでできることを家庭のテレビでやってもしようがないことを学んだ。地上デジタルでは、家庭向けには高画質を売りにし、携帯端末に向けた放送でネットとの本格的な融合を図る考えで、これはアナログテレビとネットでは取って代わることができない」(シンクタンク代表)
こうした発言をする人たちは、自分ではインターネットを活用したり、自分自身の手でホームページやブログを立ち上げたり、阿修羅のような匿名掲示板で発言をしたことがないのだろう。要は、ネットの威力、面白さを知らないのだ。
また、この産経新聞の記事は、ホリエモンの大暴れで屋台骨が揺らいだフジ産経グループの心情がよく見て取れる。ホリエモンなどはたいしたことはない、と何回もつぶやけば、雨散霧消するとでも思っているのだろう。
もちろんそんなことはない。
ネットの登場で、まず脅かされているのは、デイリーな、あるいはタイムリーなニュースを伝える新聞メディアだ。いずれ購読者が激減し、広告媒体としての価値が低下する。現在の新聞社の収入のかなりの部分が広告収入だ。媒体価値の低下は、巨大化した新聞各社に致命的な衝撃を与えるだろう。
テレビ局にはまだ具体的な脅威を与えるほどではないが、それでも、テレビ各局は数年前と比べると自社サイト、番宣コンテンツなどに驚くほど力を入れるようになった。現場では、ネットの威力を実感しているのだ。
テレビのコメンテーターの多くが、ホリエモンには明確な将来ビジョンがないと批判する。
しかし、そんなものは誰ももっていないはずだ。
上で切り出したように、テレビ局首脳の将来ビジョンは、驚くほど貧相なものだ。こんな輩に、ホリエモンに将来ビジョンを出せと語る資格はない。
10年前、ネットがこれほど大きな存在になることを予測した人間は誰もいないはずだ。もしいたとしても、彼はとんでもない大ボラ吹きと非難され、無視されただろう。
20年前のパソコン草創期でも同様だ。パーソナルコンピュータがこれほど身近な存在になるとは、誰が予測しただろうか。この分野の偉大な予言者アラン・ケイも、ネットの登場と、パソコンとの融合までは予想できなかった。
今重要なのは、将来ビジョンを語ることではなく、直感と感性で突き進むことだ。
パソコンの草創期も、ネットの草創期も、誰も将来ビジョンなど持たず、ともかく前へ前へと、わきめもふらず突き進んだはずだ。その結果、その将来と可能性を誰もいまだ推し量れていない驚くべきフロンティアが出現した。
ホリエモンには、80年代、90年代に、シリコンバレーを沸騰させたデジタルフロンティアの先覚者たち、ビジョナリストたちの風貌がある。小生には、ついに日本にもそうしたパワーを持つ人物が登場したのか、という感慨がある。したり顔で「おたくの将来ビジョンは?」などと聞くようなアホな輩は、ほっておけばいいのだ。
テレビがネットを呑み込むのか、ネットがテレビを呑み込むのか、そんなことはどうでもいいことだ。
そう言えば、アラン・ケイの次のような言葉を思い出した。「パーソナルコンピュータはあらゆるメディアを模倣できるメディアである」(正確ではないが)。
アラン・ケイの予言はますますたしかなものになりつつある。