現在地 HOME > カルト1 > 595.html ★阿修羅♪ |
|
(回答先: 石の扉、森ビル、ダ・ヴィンチ・コード、小林陽太郎 投稿者 HAARP 日時 2005 年 5 月 28 日 17:22:18)
HAARPさん、情報ありがとうございます。
マイルスの、と言うより音楽業界は全部と言っていいでしょうけど、大きくなればなるほどいわゆる”闇の権力者達”の手中にあるといえるということには変わりないと思います。
マイルス個人の「マルタ騎士団」への気持ちに関しては、一件落着ですが、マネージメント及びレコード会社(CBSソニー)に関してはフリーメイソンからマルタ騎士団からなんでもありでしょう、それは。
私は西海岸にいたので、東のことは余りよくは知りませんが、西海岸から中西部にかけての大きなコンサートはほとんどすべてユダヤ系アメリカ人のビル・グラハムが取り仕切っていました。ジャズ、ロック、フュージョンのすべてです(彼はグレイトフル・デッドのマネージメントもやっていました)。
サンフランシスコ・ベイ・エリアにはサンタナ、ジャーニー、グレイトフル・デッド、ジェファーソン・エアプレイン(後のスターシップ)、タワー・オブ・パワー、グラハム・セントラル・ステイション、ジャニス・ジョップリン等々のそれこそヒッピー世代の人達なら泣かんばかりのグループが目白押しにいましたので、彼らのコンサートのプロモートはほとんどすべてビル・グラハムがやっていました(彼はゴールデン・ゲイト・ブリッジを渡ったところにあるミルバリーと言う高級住宅地の山のてっぺんに巨大な丸い宇宙船のような家を建てて住んでいましたが、飛行機事故で亡くなりました。これも単なる事故ではなかったようです。ちなみにこの地区の有名人にサンタナがいます。彼も山のてっぺんに家を構えています)
余談ですが(ご存知の人も多いとは思いますが)、グレイトフル・デッドの全米コンサートは売り出して大体一週間でソールド・アウト、観客は革ジャン、バンダナ、ひげ面、モーターサイクルの60年代ヘルス・エンジェルス・スタイル、年代はバンドメンバーと同じ位の男と相場が決まっていたのですが、これについては何か裏があったのではないかとは言われていますね(同じ連中がツアーにくっついて行っていたとは言われていますが、そのほかにも何か裏があったのではないかと)。このバンドのギタリスト、ジェリー・ガルシアが2,3年前に亡くなってからは、その後、どうなっているのか知りませんけど。
このビル・グラハムの子分にハービー・ハンコックにミリオンセラーを取らせた、当時ハービーのマネージャーでありプロデューサーだったデイビッド・ルビンソンがいます。彼もニューヨーク出身のユダヤ系アメリカ人で、当時コロンビア・レコード(後のCBSソニー、今のソニー・ミュージック)の敏腕プロデューサーだったクライブ・デイビスとは非常に懇意な仲でした。クライブ・デイビスも確かユダヤ系アメリカ人ですし、マイルスとも仕事上は大変近い関係にあったそうです。
彼はまた、1999年にサンタナの「Super Natural」をプロデュスして、グラミー賞を5,6個ぐらい取らせていますよね。ちなみにサンタナのホームページを見てください。フリーメイソンの「万物を見通す目」が飛び出てきますから。スリ・チンモイのヒンズー教をやっている時に、サンフランシスコ市内に開いていたベジタリアンのレストランが破産したり、CDが売れなくなったりして、何度か引退すると言っていましたが、見事にこのアルバムでカムバックして以来、第一線に返り咲いていますよね。アントニオ・バンデラスとジョイントをやったりして(今度7月から8月にかけてハービー・ハンコック、ウエインショーター、それにサンタナが「平和を祈願して広島にささげる」みたいなコンサートを日本の5個所で行うようになっていますけど、創価学会の人たちがだいぶたくさんチケットを買ったと聞きました)。
マイルスの最後のアルバム「doo-bop」は今聞いても全然古さを感じませんが、町の子供達がヒップ・ホップを聞いているのを見て、「あんなものが売れて、俺のは何で売れないんだ」といって作ったのがこれらしいですね。
結論をいえば、CDを売るという事に関しても、それは貪欲だったとは思います。ただ、だからといって白人のしかも王国貴族に”魂”を売るということはなかった事は確信できた様な気がします。それとチック・コリアのマネージメントに関しても同様だと思いますけど、アメリカはミュージシャンがマネージャーをコントロールしますので、マイルスはそこら辺の政治的なことに関しても長けていたとは思います。だからといって媚を売って、魂まで売って、どうこうというようなことはなかったはずだと思います。レコード会社はそこまでこすっからしくやるでしょうけど。
”I don't play any note for prejudice white people"とインタビューで語っている通りでしょう、彼は。