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「カルト」の定義についての私見
http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/472.html
投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 5 月 14 日 07:40:45: SO0fHq1bYvRzo

(回答先: 「カルト」という言葉の意味。 投稿者 グランディス 日時 2005 年 5 月 13 日 22:54:04)

「カルト」の定義についての私見


まず、私が現在手にしているスペイン語の辞書(白水社の西和辞典)の、[culto]の項目に書かれてあることをご紹介しましょう。例文は省きます。

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culto(1) 名詞
@信仰【同義語fe】 A礼拝[の儀式] B[+aへの]崇拝、礼賛 C≪社会学≫カルト
culto(2) 形容詞
@教養のある、気取った A[国が]文化的に洗練された B[土地が]耕作された、[作物が]栽培された
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意外と思われるでしょう。こちらで手に入れた詳しい西西辞典でも、およそ上記の訳に相当する説明となっています。ただし、現在では新聞やテレビなどで「culto(クルト)」と言うと、コンテキストによってはネガティブな意味の[C≪社会学]カルト]の意味で使われることがあります。ただその意味ではセクト(宗派、分派)に当たる「secta(セクタ)」がより多く使われています。(なおスペイン語のsectaには「政治分派」の意味もあるのですが実際には余り使われず、grupo, fraccion, separatistaなどの方が好まれています。)


●これを英語の辞書(大辞典は重くて持って来れなかったので旺文社の中辞典なのですが)で見てみますと(例文は省略)、

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
cult 名詞
1. カルト[異常な教祖の洗脳による反社会的な教義の狂信]、カルト教団(集団) 2.(人、思想、人物に対する)礼賛、崇拝、あこがれ 3.流行、熱中、・・・熱 4.(宗教的)祭式、祭礼、儀式 5.崇拝[あこがれ]の的
【<ラ cultus尊敬<colere手入れをする、尊ぶ:同系agriculture, colony, cultivate, culture】
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

スペイン語の方がラテン語系統であるため語源的な意味が比較的強く残っているのですが、おそらく同じラテン系統のフランス語ともかなり異なると思われます。

フランスでは「政教分離」の歴史が長いため「カルト」「セクト」に当たる言葉には「人心と社会を惑わすもの」のイメージが引っ付きやすく、ところがスペインでは「政教分離」の歴史が非常に短いうえにカトリック教会の支配力がいまだに強いため、他の宗教が比較的入って来ていない、そのためあまり問題にされてこなかった、という歴史的な差があると思います。

バルセロナのやや南にチベット仏教の寺院があります。人々は確かに奇異の目では見ますが、「けしからぬ異教」などと感じている人は、私が見た限りでは一人もいません。むしろ「めずらしいものがやってきて、まあいいじゃないか」と地中海的におおらかに受け止めているようです。ただ近年では統一教会やサイエントロジーなども入っていますので、今からはこの種のセクトは問題化されるかもしれません。


●世界的に見ると、近年ではやはり先ほどの英語の辞書にある第1の意味『カルト[異常な教祖の洗脳による反社会的な教義の狂信]、カルト教団(集団)』が支配的でしょう。日本では初めからこの意味でこの言葉が入って来ましたので、このネガティブなイメージしか無いでしょう。

ただこれを法的、政治的に定義するとなると、一筋縄ではいかないでしょう。外野さんが紹介してくれた『フランスのカルト認定の経緯』にあるように、かなりめんどうな話になります。
http://page.freett.com/sokagakkai_komei/shukyou/cult_french.html

(なお、外野さんとは、以前に私が戦争板で悪罵してしまって以来、すっかり疎遠になっていますが、この『フランスのカルト認定の経緯』のような情報を教えてくれたことに関しては敬意と感謝を捧げます。)


●さて、話をもう一歩進めて、それでは例えばカトリックはどうなのか、プロテスタント(実際は猛烈な数の分派がありますが)はどうなのか、イスラム教は、・・・?となると、これはその法的な定義をも超えてしまわざるを得ません。

カトリックなどの既成の大宗派にしても、要するに余りにも規模が大きく一つの社会でほとんど「空気」のようになってしまっているだけで、本質は大差は無いと思います。(異邦人として生活する私のような者にとってはそれが見えてきます。悪い気分のするものばかりではないのですが。)

もう一度、先ほどの辞書の意味を見てみると、

『カルト[異常な教祖の洗脳による反社会的な教義の狂信]、カルト教団(集団)』

どんな基準で「異常な教祖」といえるのか、「反社会的」とあるがその「社会」とはどんな社会なのか? もしカトリックが「正常」で当たり前と見なされる「社会」なら、それこそカトリック以外は皆カルトになるでしょう。

先ほどの『フランスのカルト認定の経緯』にある「13項目の基準」ですが、

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
【引用開始】

1.未成年者は、その人生を決定してしまうような正式の長期献身(solemn long−term commitment)を行うよう勧誘されてはならない。
2.金銭的または人的なかかわりをすることについて、相応の熟慮期間が設けられるべきである。
3・ある団体に参加した後も、家族や友人との間で連絡が許されなくてはならない。
4.大学、高校等に学ぶメンバーの修学が妨げられてはならない。
5.妨げられることなくある運動から離れる権利、自らまたは手紙及び電話で家族や友人と接触する権利、独自の助言を求める権利及びいつでも医師の手当てを求める権利は、尊重されなくてはならない。
6.何人も、特に資金獲得活動に関して、物乞いや売春などによって、法を破るようにそそのかされてはならない。
7.外国人旅行者を終生かかわる運動に引き入れてしまう如き勧誘はしないこと。
8.入信の勧誘(recruitment)の間は、その運動の名称及び教義が、常に直ちに明らかにされなくてはならない。
9.そのような運動は、要求があれば、権限ある官庁に対し、個々のメンバーの住所または所在を告知しなくてはならない。
10.新宗教運動は、それに従い、そのために働いている個々人が……社会保障給付を受けることを保障しなくてはならない。
11.ある運動の利益のために外国を旅行するときは、その運動体はそのメンバーを本国に戻す責任(特に病気になったとき)を負わなくてはならない。
12.メンバーの家族からの電話及び手紙は、直ちに取り次がれなくてはならない。
13.運動体内にいる子どもについては、教育や健康、さらには悪環境の除去等について配慮されるべきである。

【引用終り】
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

要するに既成の大宗教・大宗派は、すでに以上のことに抵触しなくて済むほど強力でまた社会に根付いている、ということで、一種の「既得権」でしょう。


●ところで、私は歯に衣を着せずバチカンを「超巨大カルト」と決め付け罵倒しています。では私が何をもってバチカンを「カルト」とするのか。先日の以下の投稿で次のように申しました。

****************************************

http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/402.html
透徹した懐疑と内省無き「正義感」は権力志向か権力盲従に堕するのみ、だと思います

【引用開始】

私はこのところカトリックを中心にキリスト教の悪口ばかり言っていますが、従来の、つまり第2バチカン公会議以前のカトリックには、猛烈に反発する部分と同時に猛烈に引かれる一面も、また同時に存在していたのです。

それが実は「原罪意識」なのです。「原罪」というとその元々は、例のアダムとイブがりんごを食べてドッタラコッタラ、という他愛も無い話なのですが、しかしこれが、かつてのキリスト教世界にせめてもの救いを与えていた、と考えます。つまりそれが、一部の人間にとって、人間とその社会に対する懐疑と自己に対する内省を生む貴重なきっかけになったのではないか、と考えるからです。

もちろんローマ教会自体はローマ帝国の延長ですから昔から懐疑とも内省とも無縁の社会ですが、この「原罪」というヤツがきわめてあいまいでいい加減なだけに、優れた思索能力を持つ末端の人間にとっては逆に、『人間が抱える根本的な罪とは何か』を「神と対話」しながらド真剣に脂汗を流して考えざるを得なかったはずだ、と思います。アッシジの聖フランシスコなどは、結局そこからローマ教会に背を向けて「キリストの清貧にならう」という方向に突っ込んでいったのでしょう。

ただその意味では仏教の方がはるかに人間と人間社会の持つ欠陥を深く追求しているでしょう。優れた仏教徒たちは、貪瞋痴の「三毒」への言及はもとより、「天・人間・阿修羅・畜生・餓鬼・地獄」の六道輪廻の世界を、単に死後の生まれ変わりとしてだけではなく、この世の有様と人間自身の姿、つまり己自身の姿としてとらえる中から、苦しい内省と懐疑を経て優れた思索を残したのだと考えます。

ただ何教でもそうでしょうが、その「苦しさ」に一つの「救い」の道を示しそれが教義と化したとたんに、それは人間と社会に対する懐疑精神を失わせ自らに対する内省を失わせる、つまり思考停止を招き、その教義を知る前よりも何倍も強烈な権力志向か権力盲従に、人間を引っ張っていくのでしょう。「神は我と共にあり」「正義は我と共にあり」と、こうなると、もう立派な『カルトの一メンバー』、ということになります。

【中略】

『簡単に言えば、カルバンの強烈な「勤労と報酬の正当化」や「カトリックの硬直した組織への反発」はそのまま継承しているのですが、宗教としてはもっと大切な「自分の言葉による内省、自省」という精神的な部分は実に脆弱なのです。まず、自分を省みて、神と対話する、そんな深みは現在のアメリカのプロテスタントにはありません。』

という部分なのですが、実を言うと、これはほとんどそのままオプス・デイの発想に当てはまります。というよりも、第2バチカン公会議以降のカトリックにほとんど当てはまります。「思考停止」の歯止めとしての「原罪意識」がほとんど影を潜めたからです。もちろん米国のプロテスタントにこんな意識など影も形も無いでしょう。だからカルト国家にならざるを得ない。

【中略】

そして私が「カルト」と聞くときに思い浮かべるのは、まず第一にこのような権力志向と権力盲従の思考停止状態の人間集団です。それは宗教だけとは限りません。政治集団などにもカルト的なものは多いのではないでしょうか。

【後略、引用終り】

****************************************

この意味でいうならば、カルトでない教団を探すほうが難しいでしょうね。カトリックなどでも偉そうに言ってるけど、どれほど盲目の人間集団を作り出し、キリストの名のもとにどれだけの人間を殺してきたことか、神の名のもとにどれだけの薄汚い政治謀略を行っていることか。

ただ私は、それがひっくり返せないほど大きな権力、既得権益の保持者となっているがゆえに「カルトではない」、などと言わせてたまるものか、という気持ちで、米軍戦車に立ち向かうカマキリのように、投稿を続けているのです。

カルトは現実的利益を伴って必然的に政治権力化します。それが『権力志向と権力盲従の思考停止状態の人間集団』を形作り、権力を手にする人間にとって最も都合の良い武器・道具へとなるからです。

カルト以外でも同様でしょうが、確かに「定義すること」は大切ですが、「定義すれば終り」ということでは無いと思います。「知る」ということは「犯す」ことであり「戦う」「征服する」ということです。だからこそ権力集団は何よりも被支配者が「知る」ことを恐れており、カルト集団は「知られる」ことを恐れているのですね。

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