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【隠遁の指導者−1】金正日総書記の業務スタイル
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/01/02/20050102000013.html
金正日(キム・ジョンイル)総書記の新年は独特だ。新年が始まる瞬間の1月1日午前0時、故金日成(キム・イルソン)主席の遺体が安置された錦繍山(クムスサン)記念宮殿ス産を参拜する。恒例の行事だ。
書記室(秘書室)の側近数人と極少数の軍幹部らが同行する。後に労働新聞が参拜事実だけを簡単に報道する場合もあるが、ほとんどは公開しない。金総書記は引き続き、党と軍の主要幹部らに「感謝の文」をファックスで送る。題目とは違って、熱心に働いてくれという内容だ。
このうち、中央党秘書(韓国の大統領首席秘書官にあたると言えるが、実際の権限ははるかに大きい)らは元旦に出勤し、「感謝の文」を読む。部署別に会議も開く。金総書記に「返答書」を送るためだ。返事は「忠誠の誓い」が主な内容となる。元旦、金総書記は公式的に一般の人々に姿を現わす事はほとんどない。側近や家族たちと時間を過ごす。
1月1日には党報(労働新聞)、軍報(朝鮮人民軍)、青年報(青年前衛)に新年の共同社説が一斉に掲載される。去年を決算し、新年の施政方向を提示するのである。重要であるだけに、金総書記自ら検討する。社説もそのような場合がある。労働新聞に太いアウトラインが引いてあったり、模様の入った社説は金総書記が直接検討したという意味だ。
金日成主席の死後、共同社説は一貫して「先軍政治」、「銃隊精神」を強調して来た。共同社説は各職場別に下逹され、住民らはこれを「学習」しなければならない。金総書記が何よりも宣伝を重要視するためだ。
金総書記は午後遅くまで寝て、夜に働く。父の金日成主席も同じだった。エピソードもある。1979年、平壌(ピョンヤン)で午前2時にテレビをつければ、外国の映画が放送されるという「事件」があったと言う。当然、一般の住民たちも見ることができた。口コミで人気を集めた。政治保衛部が諜報を入手、放送局を急襲したが、金日成主席のためだということを知り、静かに放送局から撤退した事があった。
金総書記の義理の甥、イ・ハンヨン氏の証言によれば、金日成主席は視力が悪く、夜に映写室で映画を見れば目が疲れるため、テレビで見たいと金総書記と話したという。これを受け、金総書記は放送局に指示、金日成主席のために未明、映画を放送したのだった。
イ・ハンヨン氏は金総書記の日課について、「徹夜で執務室にいる。明け方になって官邸に戻り眠る。起きる時間はたいてい午後12時頃」と話した。「夜中に仕事をする習慣」については、金総書記も認めた。理由は金日成主席への報告のためだと説明している。2000年8月に訪朝した韓国マスコミの社長団に直接そう説明した。
金総書記は当時、二時間以上の続いた接見と昼食会で、北朝鮮内部の事情と統一、外交、国防などに対して言及した後、「(私が)すべての業務報告を夜中の3時まで受け、反応を総合して主席様(金日成)に報告すると午前4時になる。こんな組職秘書の生活を20年間してきたため、それが癖になった」と話した。
金総書記はイ・ハンヨン氏の証言と違って、自分の一日の睡眠時間は「4時間」と言った。金総書記の官邸は知られただけで15号、85号など3〜4か所ある。このほか、平壌の外郭にある地下チョルボン閣などの別荘は、数え切れないほどだ。 金総書記がどこで眠るかは最側近の数人だけが知る。全国各地にある招待所に留まることも多い。
2000年8月末、2回目の南北閣僚級会談当時、韓国側の首席代表を務めたパク・ジェギュ氏は慈江道別荘で金総書記と対面し、日本で活動する歌手の金蓮子(キム・ヨンジャ)氏は元山(ウォンサン)の招待所で金総書記と会っている。
たいてい午後の12時頃に起きると、執務室へと向かう。金総書記の公式執務室は中央党本庁舎だ。ここで会議を開いたり、主要文件を決栽する。朝方まで働いているため、宿所である官邸で仕事をする時も多い。
15号官邸から執務室までは大理石で作られた地下道でつながっている。エレベーターに乗って地下100メートルに降りていけば地下道が出る。執務室までは歩いて6分。本庁舎の3階が専用の執務室だ。2階は側近副部長の事務室、1階は書記室だ。
金総書記の執務室の壁の厚さは80センチと伝えられている(イ・ハンヨン氏、警護員出身のイ・ヨングク氏)。金総書記の業務は報告書を読み、決定し、指示する事だ。金総書記は何でも秘密裡に組織し働くスタイルだ。
ほとんどのことは「提議書(報告書)」に代えるため、直接顔を合わせて報告を受けることは珍しい。そのため、「提議書政治」という言葉まで登場した。最近はコンピューターを学び、パソコンで報告を受け指示をしたりする。平壌の一部地域にはLANも敷かれている。
夜は幹部らと酒を飲む事が多い。夕方ごろから始まり朝方まで続くか、朝方から始まり朝方終えることも多い。
「1982年10月21日は元山招待所で宴会が開かれた。金総書記の側近の結婚記念日を祝うための席だった。パーティーの参加者らのために寿司を握ったが、始まったのが午前2時で、終わったのが午前4時だった」(金総書記の料理人 藤本健二)
そして、幹部らが酒に酔えば、自分だけこっそり抜け出し、ファックスで送られてきた報告書を午前3〜4時まで検討する。知りたいことがあれば、夜中でも当該の部署に直接電話する。明け方まで仕事をしていたところ、かかってきた金総書記の電話にうまく返答したのがきっかけとなり、突然副部長(次官級)に昇進し、デンマーク大使として派遣された外交部課長もいる。
「報告書のうち、体制への挑戦と係わった事項は最優先の検討対象だ。金総書記は報告書が良ければ表紙に『よくできた』、『同意する』などと書き、その下に名前と日付を表記する。日付だけを記したものは『参照した』と言う意味だ」(黄長(ファン・ジャンヨプ)元北朝鮮労働党秘書)
側近を含め、党と内閣幹部らを傍受した結果もまた、メールで報告を受ける。これは読み終えた後、直ちに破砕機で処理してしまう。
孫光柱(ソン・グァンジュ) /The Daily NK 編集人
▲孫光柱氏の略歴
−1957年生まれ
−高麗(コリョ)大学卒
−東亜日報新東亜、ニュースプラス記者
−統一政策研究所研究委員、国際問題調査研究所・理念研究センター長
−著書『金正日レポート』、『ドキュメンタリー金正日』など
朝鮮日報