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(回答先: Re: 【隠遁の指導者−1】金正日総書記の業務スタイル【朝鮮日報】 投稿者 天地 日時 2005 年 1 月 13 日 08:20:27)
【隠遁の指導者−3】金正日総書記の私生活
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/01/12/20050112000069.html
金正日(キム・ジョンイル)総書記は宴会を好む。毎週水曜日と土曜日に開かれることが多い。主に平壌(ピョンヤン)にある執務室の側の公館で開かれる。午後8時頃に始まる。出席者たちはいつも金総書記の側近だ。
宴会場の入口にはその日の“当番”が待っている。当番の任務は入って来る人にウィスキーをコップ(ビールのコップ)で渡すこと。立場酒だ(申相玉(シン・サンオク)、崔銀姫(チェ・ウンヒ)秘録)。
これを飲んでこそ宴会場に入る資格が与えられるとして付けられた名前だ。指導者(金総書記)の前であるとしても、酔っ払って遊んでいいという“兔許”の意味を持つ。
酒が回れば、金総書記が「(金)容淳(ヨンスン)トンム(同志)、歌でも一曲歌いなさい」と指名する。歌われるのはほとんど韓国の歌謡曲だ。「別離」、「下宿生」、「チルレコッ」、「椿アガシ」「あなたは知らない」などは毎回歌われている。
金総書記も歌う。18番は「チルレコッ」、「島の村の先生」などだ。金総書記は「雪に覆われたボルガ川を走る駅馬車…」で始めるロシア民謡も度々歌う。ダンスも踊る。ゲームのするが、髪ををそることもある。ゲームで負ければ髪をそるのだ。ある日、突然帽子かぶって出勤する党幹部は、前日のゲームで負けた人だ.(金総書記の義理の甥 イ・ハンヨン氏)。
ある招待所の宴会での出来事だ。ディスコを踊っていた五人の喜び組みに、酒に酔った金総書記が近付き、「服を脱げ」と命令した。ダンサーたちが服を脱いでいると、金総書記が今度は幹部たちに「あなたたちも一緒に踊れ」と指示した。
そして、金総書記は「踊るのはいいが、触ってはいけない。触ったら泥棒だ」と命令した(金総書記の料理人 藤本健二氏)。
金総書記は個人の酒の倉庫も持っている。1万ビン余の洋酒が入っている。酒はヘネシーコニャックを好む。北朝鮮の外交官らは金総書記の好みそうな酒を探し、贈ることもある。
珍奇な食材を確保することも外交官らの仕事中の一つで、「ラクダの足」を贈ったこともある(元北朝鮮外交官)。また、海軍司令部がオットセイを捕獲し、オットセイの生殖器を贈ったこともある。
金総書記の食べるコメは、平安(ピョンアン)南道・ムンドクのコメで、飲み水は黄海(ファンへ)道・シンドクから送られる。すべて別途に作られている。特にコメがそうだ。検査部の女性たちが割れたものやひびの入ったコメはすべて手でつまみ出す。ご飯は白頭山の薪を使い釜で炊く。
金総書記が珍奇な料理を存分に楽しむ美食家であることを知らない北朝鮮住民はいない。党宣伝部は「将軍様は抗日武装闘争当時を思い浮かべ、握りにモヤシ汁、凍った豆腐を召し上がる革命家」と描写している。
金総書記はいつもベンツに乗っている。金総書記は車の代金を金塊で決済しており、ベンツ社の最高顧客中一人だ(イ・ハンヨン氏)。金総書記が個人的に所有している車は500台余。別荘内でだけ使用するナンバープレートのないベンツも少なくない。
金総書記が主宰する秘密パーティーに出席する側近らには、ツードアの小型ベンツ280をプレゼントする。ナンバープレートはすべて216-○○○○(216は金総書記の誕生日を意味。後ろの数字は3333、9999など)。
秘密パーティーが開かれる日、216で始まるナンバープレートをつけたベンツ10台余が列をなして平壌市内を走る風景が目撃される場合もある(人民軍将校出身)。金総書記の車が市内を走る時は一般の車は通行止めとなる。
ベンツ280には金総書記が指示した“'オプション”が付いている。秘密パーティーに出席する時のみ使い、必ず自ら運転しなければならないということ。一般住民に露出しないためだ。
このため、パーティーの後の帰り道、飲酒運転で事故を起こすことも多々ある。
イ・ジョンモク(当時外交部第1副部長)、キム・チグ(党組織指導部第1副部長)、イ・ファヨン(組職指導部副部長)などが、飲酒運転の事故で死亡した。オ・ジンウ(人民武力部長)とノ・ミョングン(党財政経理部長)などは事故の後遺症で長い間苦労した。
2003年に急死した金容淳(キム・ヨンスン)アジア太平洋平和委員会委員長の死因も交通事故だという噂がある。踊りや歌などに優れた金容淳委員長は秘密パーティーの固定メンバーであると同時に、「盛り上げ役 」だったという。
金総書記は夏になれば水上オートバイ(モーターボート)にも乗る。91年、鴨緑江(アプロッガン)で金総書記は自分の料理人の藤本健二氏に「真剣勝負をしよう」とし、試合を要請した。このゲームに負けると、金総書記は1か月後、再度試合を要請したが、その時、金総書記はとてつもなく排気量の大きいモーターボートを持ってきた(藤本健二氏)。金総書記の勝利だった。
車と水上オートバイのほか、乗馬、水上スキーなどスピードの出る乗り物も金総書記の好物だ。青少年時代からそうだったという記録もある。高校時代にバイクに乗り、越北文人のイ・ギヨン(成恵琳(ソン・ヘリム)氏の前義父)の家を訪ねたこともあった(ソン・へラン氏)。
金総書記が映画に関心が高いということはよく知られた事だ。金総書記の映画文献庫(フィルムライブラリー)には声優、翻訳士、字幕士、録音技師など、250人が働いている。フィルムは1万5000〜2万本を所蔵している。
最近金総書記の趣味に、女性シンクロナイズドスイミングの観覧が追加されたという報道もあった。金総書記は射撃も楽しむ。相当の水準だという。モントリオールオリンピック(1976年)金メダルリストのイ・ホジュンが射撃の個人レッスンを行っている。
家廷生活をふくめ、金総書記のこのような私生活は一般国民にはまったく知られていない。宣伝媒体は現地視察などを除いては、金総書記の顔をあまり流していない。肉声も同じだ。そのため、常に神秘的な人物として演出されている。
金総書記自身は「敵に知られることなく、霧の中にあるように見えるのがいい」とよく口にする。「隠遁」ではなく、「戦術」であるわけだ。
孫光柱(ソン・グァンジュ) /The Daily NK 編集人
▲孫光柱氏の略歴
−1957年生まれ
−高麗(コリョ)大学卒
−東亜日報新東亜、ニュースプラス記者
−統一政策研究所研究委員、国際問題調査研究所・理念研究センター長
−著書『金正日レポート』、『ドキュメンタリー金正日』など