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(回答先: 浅井基文が出てきたので12年前からの国連警察軍に関する公開論争 投稿者 木村愛二 日時 2005 年 1 月 02 日 09:11:33)
木村さんの日頃のご活躍には敬意を抱いている者です。
浅井基文さんに関しての問いかけですが、具体的にどのようなものであったのか、寡聞にして僕は存じあげません。ただ、次のようなものを見ると、誤解も含まれているのでは、と思います。
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[関西市民平和訴訟]証言と経歴・浅井基文
http://www.lovepeace.org/ks-m/peace-st/kansai/asai.html
PKO法ができたのが九二年、そして、まもなくカンボジアに対して
PKO派遣が言われました。そして、その祭に二八の日本人が犠性に
なったということは、皆さんも御記憶にあると思います。私は当時、
いわゆるPKOは安全な活動ではないんだ、それは戦争と直接、結び
ついた軍事行動なんだという認識が、痛ましい二人の犠牲を適じて国
民的に高まるのではないかということを期待したことがございます。
二人の方の死を犠牲にしないためにも、そういう世論が国内で起こる
事態を半ば予想し、半ば期待するということがございました。しかし
現実は、二人の死によって日本がPKOから戦線離脱するようでは国
際社会の物笑いになるという論理が勝ちを占めて、総局、日本はカン
ボジアPKOの任務を最後まで行うということになりました。私が感
じたのは、平和主義ということを長年言ってきた日本人が、二人の方
の犠牲を前にしたときに、もう既に本来の平和主義、戦争に加担しな
い、戦争の加害者にならないという問題意識からかなり隔たった、或
いは無関心になった状態になっているということを思い知らされたと
いうことがございます。一九九〇年以来の時の流れを見ておりますと
ほぼ二年ごとに何か新しい、憲法解釈を歪める方向への動きが進行し
ております。九〇年には湾岸危機が起こりました。九二年にはPK〇
法ができました。九四年には北朝鮮の核疑惑という問題を契機としま
して、日本が戦争準備ができていないということで、ガイドラインの
元になる日米の軍事同盟強化の話合いが始まりました。その結果、九
六年四月一七日に日米安保共同宣言によってガイドライン見直しが合
意されました。そして、九八年、私たちは周辺事態法を目の前にして
おります。昔は三〇年一昔と言いましたけれども、今は二年という短
い時間で物事が進んでいることを考えますと、じゃ、次の二〇〇〇年
には私たちはどういう事態に直面することになっているのかというこ
とを、私は心が寒くなる思いで考えざるを得ません。本当にそのとき
に憲法改定そのものが、政治の日程に上っていても驚いてはいけない
なとすら思うような心境もございます。(浅井)
--------------引用終わり--------------------------------
浅井基文さんの「平和」に対する考え方は明快で、武力では平和は訪れない、という主張にあります。
ちなみに、僕はファンといえる者でもありません。ただ、浅井基文さんの考察は、日米中台情勢では正鵠を射ており、非常に参考になると思い紹介させていただいているにすぎません。