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(回答先: 日本人はこの法案がいかに危険かを知らない トニー・ラズロ(ジャーナリスト) 投稿者 外野 日時 2005 年 1 月 14 日 23:03:54)
「週刊現代」 2003.05.24号 から
ウソで塗り固められた「個人情報保護法」
自公保の議員たちよ、良心はあるのか
委員会でデタラメ答弁を連発、なぜそこまでしてこの”悪法”作りに執着するのか
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「個人情報保護法案は5月6日に衆議院本会議で可決され、審議の場は参議院に移されてしまいました。私は衆議院特別委員会の委員を務めましたが、審議を通じて痛感したのは、国会が立法府としてずいぶん無様なものになったことです。私が質問するたびに、政府側の答弁はクルクルと変わり、挙げ句の果てに『なぜそんなに細かく聞くのか』と言われる始末でした。この法案に違反すれば、半年以下の懲役か30万円以下の罰金を科される重罪が待っている。細かく聞くのは当然でしょう」(社民党代議士・保坂展人氏)
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まず、対象になるのは誰なのかという点が、はっきりしていないのです。法案では、対象は「個人情報取扱事業者」であり、「個人情報データベース等を事業の用に供している者」と定義している。さらに「5000件以上の名簿をデータベース化して事業の用に供すれば個人情報取扱事業者になる」という。これだけでは誰のことを指すのか、さっぱりわからない。
私は、カーナビや携帯電話のナビゲーションを使っているユーザーも対象になるのかと質問しました。4月15日の審議で、立案責任者である内閣官房の藤井昭夫氏は「なんらかの社会的な事業として認知されうるものであれば、個人情報取扱事業者の対象になる。特にその目的が営利であるか非営利であるかは基準には入れない」と答えました。
藤井氏によれば、カーナビや携帯電話のナビを営業などの業務に使う人も、ボランティア活動などの社会活動に使う人も、対象に含まれることになる。カーナビは多いもので3000万件のデータを持つし、携帯電語にしてもデータベースに簡単にアクセスできる。このデータを配達業務や同窓会活動、遊びなどに使う人はたくさんいる。となれば、ほとんどすべての国民が「個人情報取扱事業者」となり、処罰されかねないのです。
自ら情報を収集しなくても、データベースにアクセスすると取り締まりの対象にするという発想には驚きましたね。
カーナビが対象となるなら、年賀状ソフトなどに代表される名簿を作れるものも対象となるでしょう。しかし、今度は、藤井氏は「社会的に認められるような活動でなければ事業となりませんので、これは事業と見なされない」というのです。
これはおかしい。たとえば、ある年賀状ソフトには、NTTの電話帳に入っている何千万件ものデータがインプットされています。5000件以上の個人情報を集めることは難しくないし、事業に転用することもできるのです。そもそも、こうしたソフトは、簡単にデータを移し替えたり、組み換えたりできるからこそ、人気を呼んでいるのですから。
さらに、藤井氏は「社会的に認められる活動を事業と見なす」と言いますが、見なす基準も、誰が判断するのかも、明確ではない。要は、役人がその都度、勝手に判断することになってしまいます。
さすがに細田博之IT担当相も訳がわからなくなったのでしょう。17日にはユーザーを対象とすることについて、「私もちょっとこれはおかしい、実態に合わないなと思った」と言い出した。22日になると「本来、しっかりと押さえなければならないのは(ユーザーよりも)メーカーのほうだと思う」と、藤井氏の答弁を否定するようなことを言いはじめた。
ついには、24日になって政府側は「市販のカーナビ、CD-ROM、電話帳等を単に利用するだけの者は政令で個人情報取扱事業者から除外される方向で検討する」と新たな見解を出してきた。答弁する人によって、また、答弁する日によって、内容がクルクル変わったのです。
デタラメの根拠と解釈で可決
「報道」の定義についても同様でした。法案では「『報道』とは不特定かつ多数の者に対して客観的事実を事実として知らせること」と定義されており、藤井氏は「最高裁判決を参照した」と言い続けてきました。ところが、これもまたデタラメでした。
藤井氏の挙げる”判決”を調べると、単なる”決定”だったのです。「判決」と「決定」では、意味も重みもまるで違う。「判決」は公判を開いたうえで裁判長が下し、以後の司法判断の基準となります。一方、「決定」は弁論などを開かずに書面審理だけで出される、いわば裁判所の意見のようなものなのです。私は藤井氏に「判決」と「決定」の違いを知っているかと尋ねました。藤井氏の答えは「不勉強で、正確にお答えすることはできません」でした。
しかも、この最高裁決定は報道を定義したものではなかった。69年に発行部数540部ほどの労働組合機関紙が、ある候補者を当選させようと、「市長には○○を」と題した記事を組んだ。これが公職選挙法違反とされました。
機関紙側は「報道の自由にあたる」と主張しました。しかし、最高裁は、機関紙の記事は不特定多数の読者を対象としておらず、「特定候補者の当選を目的とした単なる宣伝文書」であるとして、報道にあたらないと言い渡した。
つまり、報道ではない事例を一つ挙げたにすぎないのです。
ところが、藤井氏はこれを勝手に解釈し、報道を「不特定かつ多数の者に対して客観的事実を事実として知らせること」と定義したのです。自分たちにとって都合の悪い報道を「定義から外れている」として排除できるようにする。そうした邪な意図が透けて見えます。24日の委員会で細田IT相も「これをもって報道の定義としたかのように受け取られると、これは間違いでございまして」と釈明に追われる始末でした。本来なら、欠陥が露呈した時点で即廃案にするべきなんです。
しかし、小泉純一郎首相は「(不当に罰則を科したり、表現の自由を侵害したりすることは)とにかくやらないと言ってるんだから心配ない」と、的外れなことを言うだけでした。結局、特別委員会では法律の定義すら明確にならなかった。それなのに本会議で可決させてしまった。
自公保の法案推進派議員に良心はあるのか。もし、あるのなら、こんな欠陥法案は即時廃案とするべきです。