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(回答先: イラク邦人人質:今年4月に解放された5人も大きな衝撃【毎日新聞】 投稿者 バルタン星人 日時 2004 年 10 月 27 日 17:58:45)
イラク邦人人質:
祈る無事 家族沈黙
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/mideast/news/20041027k0000e040058000c.html
イラクでまた日本人が人質となった。中東のテレビは、残酷で非情な犯人グループの様子を伝える。要求は、またも自衛隊の撤退、タイムリミットは2日間だ。「事件の背景は」「なぜ危険を承知で現地入りしたのか」。関係当局は対応に追われ、被害者の家族は、無事を祈って沈黙した。
福岡県直方市植木にある香田証生(しょうせい)さん(24)の実家は、農業を営む祖父と大工の父親ら5人暮らし。閑静な住宅街で、周囲には水田や畑も広がっている。朝から福岡県警直方署員が警備などのために出入りし、周辺には報道陣が詰め掛け騒然とした雰囲気に包まれた。署員らによると、香田さんの家族は「報道には何も話したくない」と語っているという。
香田さんは、市立植木中学校を卒業後、95年4月に東海大付属第五高校(福岡県宗像市)に入学。同高校によると、2年次を終了した97年3月に、通信制のNHK学園に転校し、卒業した。その後は上京して、一時は埼玉県内に住んでおり、アルバイトなどをしていたという情報もある。
今年になってニュージーランドに旅行に出て、各地を転々としていたという。このため、ほとんど実家には立ち寄っていなかったらしい。
同中学の石田栄一教頭は「とにかく無事に帰ってきてほしい。出来ることがあれば、してあげたい」と心配した。
また、同高校の武富正治教頭は報道陣の対応に追われ「マスコミの問い合わせで在籍が分かった。今からテレビをつけてニュースを見ます」とあわただしそうに話した。息子が高校まで同級生だったという近くの女性は「『ボクシングをするといって高校を辞めた』と息子から聞いたことがある。ニュースを聞いて、驚いた。印象では、普通の子だったと思う」と驚いていた。
近所の人たちも、香田さんの安否を気遣った。
無職の男性(62)は「学校に通っていたころは、目立つようなタイプではなかった。テレビの映像では、子供のころの面影はなく、まさか彼だとは思わなかった。とにかく無事で帰ってきてほしい」と祈るような表情だった。
また、近所の女性は「小さいころはここに住んでいたが、高校進学後はほとんど姿を見ることがなかった。あちこちに行っているとは聞いていたが」と驚いていた。
近所の男性は「証生さんの姿は、ほとんど見たことがない。海外に行っていたとは知らなかった」。自宅近くに駆けつけた男性は「テレビで人質事件があったと聞いたが、この家の人だったとは」と当惑した表情だった。
▽ 日本国際ボランティアセンター職員でイラク事業を担当している佐藤真紀さんの話 イラク国内はさまざまな武装集団が入り乱れており、4月の日本人人質監禁事件の時よりも危険が高まっている。どんな目的でイラク入りしたのか分からないが、日本大使館側がイラク入国を止めたとすれば、それは正しかったと思う。ただ、この事件を単に「自己責任」として片付けてはいけない。アルカイダは日本でテロを起こすことを表明しており、イラク以外でも日本人が犠牲になりかねない状況だ。大義名分にしていた大量破壊兵器が見つからなかったイラク戦争を日本としてどう検証するのか。安全管理をどうするのか。そこをあいまいにしていると、日本人を狙った事件は今後も続く可能性がある。
毎日新聞 2004年10月27日 12時15分
毎日新聞速報から