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(回答先: 作詞家のなかにし礼氏の長兄も特攻くずれでしたね 投稿者 バルタン星人 日時 2004 年 12 月 15 日 08:13:54)
「挫折者」に触れていただき嬉しく思いました。
安部氏は、そうですね。安藤組だったと思います。
安藤昇氏はかなり前に、力道山を刺殺した犯人を擁護する文章を書いていました。
なかにし礼氏はたしかNHKラジオで兄さんのことを語っていましたね。
石原慎太郎氏は挫折心理が少ない(無いのでは?)からいけないのです。
それだから、ああいった政治姿勢が出てくるのだと思います。
政治姿勢に「思いやり」が無いのです。
苦労らしきものをしていないのではないですか。
吉本隆明氏も「愛国少年くずれ」であったようで、作品の中で、勤労奉仕先の工場での終戦時の有様を書いていましたね。
「予科練くずれ」は、ごく近い親戚に居ました。
「全学連くずれ」は、何人かと接した事があります。それだけでなく、思想的影響も受けています。
私自身も「挫折」を体験していて、「○○少年くずれ」だったのです。
60年安保騒動を体験し、我が国の政治と社会への信頼感を失ったのです。
「特攻隊くずれ」や「全学連くずれ」と同じですね。
それで、その後、若干の「思想的・行動的不良化」を体験しました。
どの作家であったかを忘れましたが「蹉跌は証だ。蹉跌を経ていない思想を信用しない」と書いていた作家が居ました。
私たちの時代の義務教育(小・中学校)は、勉強をしに行くところではなくて、遊びに行くところだったのです。貴方の時代もそうなのではないですか?
一握りの勉強をしなければならない秀才たちとってだけは「苦痛の場所」だったのです。
私は大都市の進学校と言われている中学校へ通っていましたが、そこでもその有様でした。ですから、大変に楽しかったのです。普通高校へ進学すると、そこから「灰色生活」が始まったのです。
今の子供たちには、このような学校の姿は想像できないでしょう。もうすぐ、生れ落ちたら直ぐに「挫折」が始まる時代になる可能性があります。
私たちの時代の不良少年は制服のズボンを「マンボズボン」にしていました。ピッチリと足にくっついた「もも引」のようなやつです。
不良少女はスカートを膝上まで上げて短く穿いていて、髪型なども小奇麗にしていました。ブルマも「かぼちゃのブルマ」が一般的だったのですが、それをピチピチにきつく穿いてセクシーにしていました。
男女とも、なかなかに魅力的でした。
私は「くずれ」てから、彼らの心が判るようになり心が通じ合い、その代わりに「秀才の階段」を登る事の無意味さを知って、それを止めてしまいました。
それから社会の毒に対する「免疫」が出来てしまったのです。
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