現在地 HOME > 掲示板 > 政治・選挙6 > 521.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
(回答先: 善意の人による高みからみおろす自己満足の反戦運動または障害者福祉運動 投稿者 手ポリオ 日時 2004 年 11 月 02 日 20:23:19)
もっと深い追求がなされるべきで、戦争をは次元が違うとはいえ、やはり上辺だけの報道で終わってないでしょうか。自然災害は嘆くだけでは終わらない。非常にここでも小さく扱われていると思う。もちろん、人災以外の何者でもない戦争とは違う。どうしようもない面はある。しかし天災には、天災だから仕方ないで済む問題ではない、もっといろーんな問題が入っていると思うよ。決してこの問題だって自然現象だからではすまない人間がつくったシステムと関係があるのだから。直接的な人為的災害ではない天災ですら楽しい雰囲気をもっと壊していいと思う。ここにも社会問題は完全に入っているのだ。単なる一過性の自然現象ととらえるんじゃなく、この中にももっと自分達の社会を見直す問題がいっぱいあると思う。直接人間の意志が働いてないという理由で天災に対する見方にどうも、戦争より軽視されている気がする。もっと天災からも厳しい社会への目が養われるべきだ。災害補償の問題とか、もっと自分の問題として捉えるべきだ。ここには、戦争ほどの怒りは沸かずとも、それに近い激しい感情はやはり必要だ。次元は違うから一緒くたにはできなくても、もっと天災をわがものとする感覚、怒り、悲しみ、絶望感と不安がないと。天災にあった人のその後を考えれば、ここにだって社会を考えるべき事はいっぱいあるんだ。これほどまでに巨大な天災が起きた後でも、なんら思想が変わらない、社会に対する見方、新たな問題意識が発生しないなら、それはむしろおかしいと思うし、絶対本当は経済のあり方まで変わっていかなきゃ本物じゃないと思う。天災の中にすらこの社会の根本的な問題が隠されていると思うんです。天災とは防ぐ努力を要するものであって、嘆くものではないんです。