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(回答先: 関西水俣病訴訟、国・県の責任認定…最高裁 [読売新聞]【経済のためなら人が死んでもかまわない政府だったと認定】 投稿者 あっしら 日時 2004 年 10 月 15 日 17:58:16)
行政責任を認めた水俣病関西訴訟の最高裁判決をどうみるか。識者に聞いた。
◇坂東克彦・新潟水俣病訴訟元弁護団長の話
排水規制が可能だったのにやらなかったと、司法の頂点が国と県の責任をはっきりと認め確定させた。足尾鉱毒事件以来、排水停止を求め続けてきた被害者の願いが認められ、公害の歴史において大きな意義を持つ判決だ。1審で棄却され、他の訴訟が和解しても戦い続けてきた患者・原告は、全国の被害者の思いを背負い、金字塔を打ち立てたといえる。環境庁の認定基準を打ち破ったことは、国の屋台骨を揺さぶるようなもので、今後他の認定問題に影響を与えることは必至だ。
◇潮海一雄・甲南大法科大学院教授(民法・環境法)の話
排水規制を怠った行政責任が認められたことは極めて画期的で、悲惨な公害の背景に、行政の無策があったことを浮き彫りにしたことは、大きな意味がある。水俣病を中枢神経疾患とした判決は、患者を診察した現場の医師の見解を採用した手堅い判断で、77年の行政による認定基準が誤りだったことを明らかにした。95年、多数の患者を水俣病と認めず、安い一時金で訴訟を取り下げさせた政治決着は正当性を失った。今後、未認定患者救済の再検討が行われなければならない。
◇津田敏秀・岡山大大学院講師(環境医学)の話
国と県に責任があるということは、この公害の経緯を知っている人には明らかであり、判決は当然だ。水俣病の認定基準である「病像」が医学的に誤っているという判断が、最高裁に引き継がれたことも評価できる。水俣病の後も大規模な公害や食中毒が起き、被害が拡大する例が相次いでいるのは、水俣病の教訓が十分に生かされず、国・行政と学者の3者構造がそのまま残っているからにほかならない。国や県は無駄な裁判を維持したうえ、情報を隠し、政治解決を強要してきたことを反省し、外部に依頼して水俣病の50年間を徹底検証すべきだろう。
◇当初から水俣病にかかわってきた原田正純・熊本学園大教授の話
国、県の責任は認めており、高く評価していいと思う。だが、1959年以前は行政の責任がないとして8人の請求が棄却された点は不満が残る。水俣に何度も帰ったりしているわけで、今一歩実態を見てほしかった。奇妙なのは、なぜ二十何年もかけて、裁判所に国の認定基準の誤りを判断してもらわないといけなかったのかということ。長すぎた。専門家が早く集まって決着をつけるべき問題だった。今はただ、患者さんにご苦労様と言うしかない。
毎日新聞 2004年10月15日 20時59分
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20041016k0000m040110000c.html