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(回答先: 自殺を選択してしまう人々の大半が、この耐え忍ぶ力のとても弱い状態のある人ではないかと考えます 投稿者 TORA 日時 2004 年 10 月 13 日 07:15:26)
TORAさま、
随分以前からご投稿を拝読しておりますが、
なんとボンクラなことに、今日になって初めて
『株式日記と経済展望』のご執筆者と同一人物であられる?と理解しました。
すみません(恥)。
取りあえず、お初でございます。
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自殺を選択してしまう人々の大半が、この耐え忍ぶ力のとても弱い状態のある人ではないかと考えます。ではいったいどうすれば、この耐え忍ぶ力が養われ人生の様々の苦難に打ち勝っていける事が出来ていくのでしょうか。答えは宗教による教育の普及が重要性ではないかと思っています。
だから生きているのが苦しいという理由だけで現代の若者は自殺を選んでしまう。同じように性欲があるからと中学生でも性行為に走る。耐え忍ぶことも何かを得るために必要であることを教えるべきだと思います。それを教えてくれるのが宗教であるのではないかと思います。
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個人的には、宗教には17の歳で期待することをやめて現在に至っております。
人間一人一人の意識は玉虫色の差異を持っています。
60億の人間がいれば60億の色彩があるものを
たとえ真善美にまつわるアフィニティーに依ってだとしても
組織し始めた途端、すぐにおかしくなる。
そしてその組織がドグマを持ち、権威を持ち出すと、もっとおかしくなる。
(交通整理の道具として、やっとどうにか法律を我慢しており、
それだけでたくさん、という気持ちです。)
より悪いことに、財力を持ち出した時には、もう収集がつかなくなる。
なのに、おのおのの帰属への欲求が強いがためか、
そのおかしさを認めることができなくなる。
あたくしには『宗教』というものそのものが
ごく普通の人々が深い瞑想に沈んで自分で得ることが出来る以上のことを
人に教えられることはあるとは思えません。
では、学校で詰め込まれるより、
おのおのがその時期の自分に合ったものを得たほうが良い。
そのためにはせいぜいランダムに読書をさせ、
文章をかかせるくらいの方がましだと思えます。
人間に教える力のあるものがあるとしたら、
それはおのおのが選び取る、人との絆と愛情である、と個人的には思っております。
それらは、がちがちの教義などというものがなくとも
その場その場に応じた、文字や講義ではなく経験から由来する教訓を
ちゃんと与えてくれますからね。
個人的意見に過ぎませんのでお気になさらないで下さい。
ただ、自分としては『宗教』という観念があまりに空ろに見え
(内実に相当するべきだと自分が思うものは上記に書いた通りですが)、
人が寄り掛かれるだけの実態があるとはとても思えないために
あたくし自身が書かずにはいられなかっただけであります。
ではまた、ごきげんよう。