現在地 HOME > 掲示板 > 昼休み4 > 770.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
(回答先: 真実への道は険しい。しかし、その道こそが自由へ至る唯一の道だ。 投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 1 月 03 日 19:11:16)
よくわかりました。
たった一つの真実のなかで生きているのは、人間以外の、他の生き物です。
人間は、他の生き物のように外部環境にぴったりとフィットして、完全に外部環境と一体化し、それと不可分のものとして生きているのではない事は明らかだと思います。
「文化」はこの「自然」とのギャップをうめるために必要にせまられて産み出されたものでしょう。
我々の狂気、我々の自由、我々の尊厳、それらはみな、この不完全さ、不一致、ギャップから派生したものです。
「真実の出来事」「出来事の真実」どちらも無意味な造語です。
出来事は過去のものであれ、未来のものであれ、現在起こりつつあるものであれ、全て「存在」ではありえない「虚構」です。
「実在」を仮構することができるのは、その、全て虚構でできた全体としての宇宙。唯一その宇宙のみです。
その宇宙の「実在性」を問うことは無意味であるという意味で、それは「実在」すると言えるのですが、
可能性の総体である宇宙というものは「複素線形重ね合わせ」状態になっており、911が起こらなかった宇宙も、911が起こった宇宙も、シュレディンガーの猫が死んでいる宇宙も、シュレディンガーの猫が生きている宇宙も、可能な事に変わりないのです。
「パラダイム」を言う以前に、この、所与のものとされている、時間と空間さえ、構成されたものであり、いわば虚構なのです。
経済や、社会設計についてなら素人考えを議論、対話と称して述べたてる事も許されるのかもしれませんが、
このような原理的な事に関しては、それは、無意味であるだけでなく有害な事だとおもいます。