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(回答先: 今は無き『日之本研究ホームページ』の再現です。 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 17 日 19:13:12)
*シュメール=スメラ民族*
*大本とシュメールの関係*
人類史上最も古い文明は、メソポタミヤ文明と言われていますが、その文明を築いた民族シュメール人は(シュメール[Sumer]とは英語読みの発音で、ラテン語では「スメル」と発音するようです)原住民の骨格とは異なっており、民族不祥とされていますが、忽然と現れて、学校・建築・農業・工業・法律など、様々な文明を築いた後に、また突如と消えてしまったのは、なぜなのでしょうか?
また、記録ではシュメール人が、自らを表現するのに、「キ・エン・ギ」という呼び名を使っていた様です。このキ・エン・ギとは「葦(あし)の主の地」という意味があるそうです。イラクのチバイッシュという所などに、葦の茂った区域がある事等から、こう呼ばれていたのではないかと思われます。
という事は、霊界物語中の「メソポタミヤの顕恩郷、豊葦原の水穂国・・・」という表現も、判らなくも無い、という感じです。普通「豊葦原の水穂国」というのは、神話に描かれた日本の呼称なので、メソポタミヤが豊葦原の水穂国というのは、無茶苦茶なのですが、かつてその様に呼ばれていたのかも知れないとも、感じます。もっとも、その表現はメソポタミヤだけではなく、世界中を指して呼んでいた様です。
また王仁三郎氏の『霊界物語』では太古の歴史において「国常立之大神の神政は最初トルコのエルズレムであったものの、ヤマタオロチ、金毛九尾の狐が神人に憑依し、次第に神政も乱れて、遂には地球の東北にあたる日本に押し込められてしまった」という事が描かれています。
*古代シュメールの音楽と雅楽は同じものだった*
九鬼家は大本と因縁が深いと、直子氏は王仁三郎氏に毎日言っていたという逸話からも伺えるように、大本と九鬼家とは、深い因縁があるようです。その九鬼家の家紋である『九陽紋』は、古代シュメールで神を現わす文字「ディンギル」がルーツではないかと、言われています。その九鬼家にまつわる、興味深い話しを発見しました。
1960年にメソポタミヤの、シュメール文明の首都ウルの遺跡から発見された粘土版の中から、古代の楽譜が発見されましたが、カルフォルニア大学のアンネ・D・キルマー女史は、それを現代の五線譜に再現する事に成功し、その再現された音楽を、評論家の岩田明氏がテープにダビングする機会がありました。
私はこの古代のメロディを聴いた時に、初めて聴くにしては妙に懐かしいものを感じた。
・・・(中略)・・・
もしかしたら日本の古い音楽と関係があるのかもしれない。そう思った私は、このテープを持って紀伊半島の熊野本宮神社の九鬼宗隆宮司を尋ねた。快く迎えてくれた九鬼宮司は、テープを聴きはじめたかと思うとすぐに中断し、「禰宜(神官)どもにも聴かせてやってほしい」と禰宜の方を集められた。
5分程そのテープの旋律を聴くと、九鬼宮司と禰宜の方達は異口同音に「当社で行う伝承雅楽と実によく似ている」と感嘆の声を漏らされた。
-『日本超古代王朝とシュメールの謎』/岩田明著:日本文芸社刊より-
以上の様な経緯で、九鬼家と出口家、或いはシュメール民族との関連について、もう少し突っ込んだ研究が待たれます。というのも、九鬼家は、水軍の出身で海人族(あまぞく)と推察され、渡来系ではないかと考えられます。又更に、大本の発祥の地である丹波や丹後辺りも、渡来系民族が住みついたと思われる、遺跡などが沢山に見付かっているとの事です。
また『富士文献』では、国常立尊は高天ノ原から日本にやってきたという事ですが、太古の高天原は現代のイランとイラクの付近であったという事ですから、仮に「シュメール人が日本に渡来してきた」という事が本当であるなら、いかに王仁三郎氏が大化け物といえども、この符合は驚かざるを得ないと思います。
*古代シュメールに見られる十六菊花紋*
又よく『日ユ同祖論』というのが言われますが、天皇の象徴である『十六菊花紋』が、ユダヤの紋章として多く使用されている訳ですが、実はユダヤに関連する以外にも、古代シュメール文明の跡地の、至る所に見受けられるのです。つまり、十六菊花紋自体に関しては、ユダヤ=日本という図式は、少々短絡的であるのです。
上記日本超古代王朝とシュメールの謎』によりますと、例のイラ・イラ戦争の折り、サダム・フセイン大統領が、バグダッドの官邸で戦闘情勢に対しての記者会見を行った際に、以下のようなエピソードがあったそうです。
ヨーロッパの或る記者が、大統領の腕輪のデザインが十六菊花紋であるのを見て
「大統領閣下、閣下が身につけておられる腕輪の紋章は、日本の皇室の物とよく似ておりますが、何か日本と関係があるのですか?」
すると、サダム・フセイン大統領は、こう答えた様です。
「あなたがたは古代メソポタミヤの歴史について、もっと勉強をしてほしい。この紋章は我が国の祖先が、世界最古の文明を築いたシュメール王朝時代に用いていた、王家の紋章です」
*古代シュメールと日本の風俗に、関連性は見られるか?*
仮に、シュメール民族が後のユダヤの民、日本へと分化して渡ったのだとしたら、何かしらの共通項が残っているはずです。
* 1漁法
古代ペルシャ湾ににて行われた漁法には、鉢巻きやヘラにセーマン(五芒星マーク:護身の意)とドーマン(縦4本横3本の格子マーク:海の女神の意)という文様を付ける習慣があり、ペルシャ湾と日本にのみ見られる習慣。
* 2石像
初期シュメール王朝の、遺跡に王の左手が王妃の右手を握り、王の右手が王妃の右肩にのせている石像があり、これと全く同じモチーフの石像(道祖神)が、日本に見られる。
* 3家紋
日本に使われている家紋の多くは、シュメールの遺跡から見付かった模様と同一の物が殆どである。
* 4十六菊花紋
日本では、天皇家の象徴として使われている、一六菊花紋がシュメールの遺跡(ペルセポリスの牡牛像など)からも、多数見られる。
上記のように、様々な所から、古代シュメールと日本の類似点を挙げる事ができます。これらの、デザインなどでは、偶然の産物という事も可能だと思います。「菊花、或いは太陽をモチーフにデザインをしろ」と言われれば、現在でも似たようなデザインを、偶然複数の人間が創り出す事は、別段不思議でもないように思います。
ただ、神話に関する部類では、余りにも類似性があり、少々偶然というだけでは、こじつけに近いと思います。古代において、その様な出来事があったかどうかは別としても、シュメール人の部族の幾つかが、日本に渡ってきた渡来系であると、見た方が自然であると思います。