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(回答先: 第三章 古代の歴史 4 シュメール=スメラ民族 -その2 仏教/釈迦の予言した弥勒(ミロク)の世/カバラのヌメロジー盤に 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 08:55:26)
*シュメール=スメラ民族 -その3*
*神道*
厳密には、神道とは宗教というカテゴリには入らないようですが、古事記の素盞嗚尊の物語と、良く似た物語がシュメールの物語に出てきます。
日本の神話 シュメール神話
素盞嗚尊の別名は、牛頭天王と 古代シュメールの伝える神の一つ、
呼ばれ、同じように牛の角を バール神は牛の角を生やしており、
生やしている。 天候(暴風雨)の神といわれていた。
素盞嗚尊が人身御供で人間を食らう、 太古シュメールの神話には、ヒッタイト
頭が八つもあるヤマタオロチに、酒を の守護神である、7つの頭を持つ龍が
飲ませて酔わせてから退治する。 人間を生け贄としていた。そこでバール
その時にオロチの尻尾から、鉄の剣 神が、龍を酒に酔わせて退治する。
(草薙の剣)を手に入れる。 すると龍の中から、ヒッタイトの鉄を
手に入れる。
先のシュメール神話もそうですが、日本ではイザナギ・イザナミ神話や素盞嗚尊の八股大蛇の退治神話など、別個の神の話しとして残っていても、シュメールではごくシンプルに、同一の神名(バール、アシュトラ神など)の物語が殆どという点が、相違しています。
ちなみに、イザナギ・イザナミ神話とよく似たモチーフが、ギリシャ神話にも見られるという事ですが、アテネはペルシャ湾が近い事から、恐らくシュメール神話が、ギリシャにも伝達したのではないかと思われます。
*シュメールの羊と秀真伝の『女』*
秀真伝(ほつまつたえ)では、ヲシデと呼ばれる神代文字を使われて居ますが、この文字では現代かなの「ナ」に当たる部分が、「女性」を現わす様です。そしてその文字は、原典では○に十を重ねた○に十という様に現されていますが、この文字は、シュメールで「羊」を意味するものと同じです。
羊と女では、一見するとバラバラでもあり、又単純な図形的な文字であるので、偶然の一致とも考えられます。ただ、大本の裏神旗と酷似している点と、辻家の家紋とも似ている点です。日本の家紋の大部分は、シュメールの文様と共通点があると考えれば、辻家の先祖も又渡来系民族であったとも考えられます。
王仁三郎氏は「変性女子」という別称があり、霊魂は女性であるという事で、○に十(ナ)が女性を現わすという点を想起させます。同氏は晩年、茶器作りに没頭し、三千個の茶器を焼きましたが、現在はこの三千個の茶器も「型」であると考えられています。
更に『伊豆能売神諭』中に、瑞の御魂は四八種の生霊を引率して云々・・・という個所の四八と、三千個という茶器の数を掛けると「48x3000=14万4000」という数になり、旧約聖書「ヨハネの黙示録」中にある、「羊に引率され、地から贖われて新しい歌を歌う事の許された者の数」14万4000人と同数になります。
*牛頭天王とバール神*
伊勢神宮にある外宮は豊受大神を奉る宮ですが、王仁三郎氏によれば豊受大神は国祖、国常立大神の別名であるという事ですが、丹後王朝と言われる、丹波・丹後周辺の神社には、この豊受大神を奉る所が非常に多いのです。
伊勢神宮の神官、渡会(わたらい)氏の祖先は乙乃古(うるのふる)命だそうです。シュメールの言葉でウルのフルとは、「ウル(牛)のフル(都)」という意味になります。
この乙乃古命は、但馬から伊勢に移り、素盞嗚命に従って熊野の到着、志摩半島を周って伊勢湾沿岸に分布した人々の族長であったという事ですが、太古の歴史の事であるのに、現代日本での当地の名産、松坂牛はその流れを溯れば、但馬牛→神戸牛→松坂牛という経緯であるのは、知らず知らずに、つまり惟神(かんながら)にそうなっているのでしょうか?
日本の土着民は、恐らくは農耕民族であり五穀豊穣を願うのは判りますし、エルサレム辺りから流れた民族は遊牧民族で、牛の信仰があったのか知れませんが、王仁三郎氏の言や、各神示類に牛の肉を食うのは「共食い」として、諌めています。良く考えてみれば、ヒンズー教では確か牛の肉は食さなかったと記憶しています。
またユダヤ教徒も、肉屋にユダヤ人専門のコーナーが在るくらい、血抜きを完全にした牛でなければ、絶対に食さないようです。
つまりは、元々シュメール文明の一つには農法も或る訳ですから、牛は食べ物としての命の糧としての神聖視ではなく、何かもっと他の意味があるようです。もっとも、バール神と同じ角があるから、という唯それだけかもしれませんが。
*鬼と鬼伝承*
王仁三郎氏の出生地穴太は、鬼退治伝承の発祥地として知られていますが、その鬼退治は、大和朝廷に対抗して敗れ去った人々の話しが鬼に転化したもの、という説があります。
自分も最初はそうだろうと思っていましたが、牛の角を持つ神、という姿は一見すると鬼によく似ており、何かしらの関連があるのかも知れないとも思います。
中世以前のモーセの聖画なども、姿こそ人でも角が生えたモーセは、角=鬼のイメージの強い日本人には異様な感じを受けます。
ところが、『鬼の王権・聖徳太子の謎』(関祐二著:日本文芸社)によれば、法隆寺金堂、釈迦三尊像の光背銘の中の一文として、以下の物が存在するようです。
「法興元三一年、歳次辛巳ノ卜しノ十二月に、鬼前大后、崩しぬ」
聖徳太子の母親は、「鬼前大后」と呼ばれていたようです。太子一族は鬼としての崇拝があったのかも知れません。また太古では「鬼と神」は殆ど同義語であった様です。
また、他にも空海、役の行者、ヤマトタケル等にも同様の鬼としてのモチーフが見られる点では、異能の人物などは、鬼として扱われたという事かも知れません。
又、聖徳太子や日本武(ヤマトタケル)命や王仁三郎氏は、皇族の落胤ではないかと言われていますが、何かしら鬼とまつわる因縁がある様な感じです。
昭和10年の大本の弾圧の罪状の中には、同年12月の「特高資料」の中に以下の文面があるようです。
(前略)畏くも神武天皇はユダヤより渡来せられ、真の天照大神の御系統たるニギハヤヒ尊を征服せられたるものにして皇室は決して正統たる統治者にあられず等と称し(後略)
-昭和10年12月「特高資料」より-
王仁三郎氏の対外的でない、当時信者に向けた著作物にしても、特に不敬と思われるものは見当たりません。精々大本神諭などの幾つかに、それと思しき伏せ字がある程度です。むしろ、明治天皇の教育勅語や、古事記、日本書紀といった書物を重要視する、天皇崇拝的な面が、表面的には伺えます。
日月神示上にも、今迄5回あった岩戸絞めの一つに、神武天皇が人皇を名乗られた事を挙げています。国家権力から言わせれば、大本は表向き、天皇崇拝でありながら、裏では国家転覆を企むという訳です。
一方で皇祖天照大神の系統たる、皇室に於いての祭事には、近代に至るまで鬼である筈の出雲神を表に出ない形で祭祀し、大嘗祭や伊勢神宮でも、秘中の秘とされる、裏の祭祀としての奉神は、出雲神「大物主神」であったようです。
天皇家は逆に、朝敵出雲の神を裏で奉るという事が、行われていたという事です。