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(回答先: Re: 聖書のうわべしか見ていないきみへ。ただ読んでいるだけの者より。 投稿者 ローズ 日時 2004 年 11 月 11 日 00:25:36)
<人間は生まれながら、神に逆らう者なので、人間は神の敵であると聖書に書いてます。>
君はこう主張したが、君の言う通りなら愛と云って良い程の情を敵である人間にかけてきた事になる。
「カインの徴」「ノア」「アブラハム」「ヤコブ」「モーゼ」「ヨシュア」「ダビデ」「ソロモン」「預言者ミカヤ」「エヒウ」など、挙げればキリがない。
敵であるはずの人が寵愛を受けてきた人々だ。
特にアブラハムはこの世の富を褒美として受けている。
無条件の愛を説いていないということには異論なし。
ただ、<イエスの言う敵を愛せよということは、復讐は神がすることでなので、敵は善でもって行え、と言うことです。>は、全くの意味不明。
「敵は善でもって行え???」
その前に、色々な教会に問い合わせたところ、「汝の敵を愛せ」は、その文面通り読むべきで、それこそ「イエスの聖性を代表する言葉だ」とのことだ。
その上で、神とは反しているのではないか?と問うと、日本語として不完全で意味不明な解説が始まる。
最終的に私が受けた有難い言葉「あなたは悪魔崇拝者ですか?それでも神はあなたを祝福いたします」とのことだ。
聖書中の何処の教えを解釈したらこの様なことが云えるのか?疑問に思ったが聞く機会を逸してしまった。
「聖書は神と人とを結ぶ大切な物であるが、文字を読む事が出来れば、あなたは神を感じる事が出来る。」
教会にていわれた言葉。
毎日の様に読んでいるが、矛盾と詭弁ばかり感じてしまう。
やはり「読むようにして読み、見るようにして見」なければ、神を感じることは出来ないのか?
私は研究などしていない。
世界中に居る信仰者と同じく、同じ聖書を読んでいる。