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(回答先: 君は君の自説の矛盾に気づいているか? 投稿者 アンチキリスト666 日時 2004 年 11 月 11 日 09:01:24)
説明不足のようです。不慣れなので申し訳ないです。
アンチさんとピースさんへまとめて返答です。
敵を愛せよですが、イエスが「敵を愛せよ」と言った時の、その理由を語っているところに注意してください。
「自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じようなことをしているではないか」(マタイ5:46-47)
このように神に愛されない者たちでさえ善を行っているから、弟子たちに敵を愛せよと命じてます。
なぜなら、‥‥‥‥う〜ん、わたしが説明するより、パウロの手紙から引用した方がいいでしょう。
「だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい。できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。」悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。(ローマ12:17-21)
教会には行ったことがないのでわかりませんが、アンチさんに対する教会からの言葉は「???」ですね。
聖書が語る神は恐ろしいほど偏愛的な方です。
人間が生まれる前から、ある人を愛し、ある人は憎んで捨てると予め定めています。
「ヤコブを愛し、エサウを憎んだ」と聖書に書いてあるように、恐ろしいほど選別しています。
人間は神の敵だけど、神はまた憐れみ深い方でもあると聖書に書いてます。
なので、アブラハムらを愛することも出来るです。
これは天地を創造した「絶対主権者」として、「王」としての神の宣言です。
また、神は陶器を造るものであり、人間は陶器であると例えています。
気に入らない陶器を叩き割って捨てても、陶器である人間は文句を言えないのです。
聖書を読めば神を感じることが出来る、というのは違うなと思います。
聖書は一貫して「悔い改めよ」と命じてます。
大事なのは「悔い改め」です。
悔い改めない限り、いくら聖書を読んでも受け入れることは出来ないでしょう。