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(回答先: 嬉しいです。 投稿者 フニャコ 日時 2004 年 11 月 02 日 19:53:37)
昔は寄留ってのがあったんです。
東京のどこそこの中学に通わせたくて身内の住所を借りて実際には千葉や茨城(チバラキ県)あたりから通学させる。
こんな学生の一人が豚小屋列車「国鉄常磐線」で通学してました。
通勤通学時間でも車内でタバコすいながら酒を飲んでこいこいやってる。
乗客は見てみぬふり。
私もつい知らん振りしてちらちら相手の顔を見たりして運悪くがんが合うと、おっさんから学生帽をむしりとられてやたら「ペーペー」言葉混じりの「がんとばすんじゃねえこんにゃろ!」ってどやされてました。私もチキンやろうでして。
ちばらきけんから東京の学校で勉強しに行ってたのがいつのまにか東京にちばらきけんの粗暴な常磐線文化をもたらすようになった。現都知事にも伝播したのかな。
SLも走ってましたから松戸、我孫子で停車して土浦まで各駅停車で行き来してた時期もあったです。
言語的には私は山形弁が直らなかったんですが、通っていたのは六区。身内が六区だったのでしかたないのですが、台東区(五区)あたりならまだ通学も楽だしいい学校もあった。これがおらの転落の始まりだったなんて、誰もしんねんだども・・・。つい東京の女性さ恋をすた、ああ、んげね、こっだらこつしゃべるとおらの地金がでてすまって、・・・はんずかすいなもし。
んで、本題はっつうとだす(おらこんでも立派な東京育ちだかんね)、やっぱすい無為自然。おらも老子様の大ファンなんだ。
ルソーばやると老子さんぐ。これ自然の法則だなっす。
自然さけえれ自然さけえれってつぶやいてると、マルクスがそういってルソーば引用すてるだ。ただしおらのマルクス主義海開眼はずっとあとだす。
マルクスの場合は有為だども、自然さ対すて働きかける、すなわち生産手段(衣食住)の獲得のための社会的存在とすての人間存在ば非手でげねもんだから「有為でありかつ自然なもの」、それがマルクス主義の根本だとおらは思うようさなった。硬い話ではねんだどもな。
ま、人間欲望を捨てろ、ほっだらことわ人間の破滅ば導く(きりすとみてだな)ってのが老子の教えだでな、孔孟思想(欲望を正当なものとすて維持し続ける)とはまるっきり逆なんだすなあ。
やっぱすいこっだら流れさ病葉(わくらば)のごとくぷかぷか浮き沈みすて流されてる人がおったとは、おらもすこぶるええきもだっす。
(おら現にPCの前で番茶とインスタントコーヒーばすすってるからずるずるって音がするよう、今から効果音ば入れるでな、ときどき。酒が買えねえもんで。)
ああ、これでおら失恋ば忘れたで、気ば取り直すて、ええと、んっでなんだっけかなあ、最近年のせいで忘れっぽくなっただが、これも老子様のお導きで、無為自然の境地だべすた。
ずるずる。ずずーーーっ。ごくり。ぷっ(屁じゃねど、月賦さ追われてるもんで)。
一時的にはだな、無為自然って、なまけ者(そう、あのナマケモノそっくり)として生きることかな、なんて考えてた時期もあっただす。すると歯磨きさえ面倒くさい(鹿児島では「やずろしい」鹿児島と宮崎の中間地方、都城地方では「よだきい」)。そういえば野坂如行(今もう忘れられてるだが、四畳半襖・・で有名)も歯磨きなんかすたこともねえ、なんて豪語すてたんだども、おらの周囲はあの常磐線のごとく豚小屋だ。ふんで、こりゃ大変だ、虫歯は進行、あわてて歯医者さ行って、ふんで、腹に水虫がでけてよう、御茶ノ水の日大病院さ見てもらいさ行っただよ。若い看護婦(おらより上だったども)の前でパンツ下げろっていわれて、初めて羞恥心ば知った。
ずるずる(これはおらがあれるぎー鼻炎で鼻水がたれる音)。
ちーーん(これは鼻をかむ音)。
音にもいろいろあるもんで。
世間一般でわかりやすい道教、れいのカンフー映画なんざその実例たらん。
中でもおらが好きなのが「酔拳」。
あら無為自然の骨頂だべさ。
酔って、酔って本当に酔って(ま、映画だけど)殺人マシンに勝つ。
というと道教は相手の隙を突く卑怯な思想かにゃ、と思うけどさにあらず。
老子の世界では国家なんて消滅してるから面白い。
私も福永光司の「老子」上・下、むさぼり読んだ経験があります。
今ネットって便利だす。本がなくともサワリの部分が紹介されてるだ。
フニャコさんにいいこと教わった。
やっぱり質問って大事だなあ、とつくづく思う。
コミュニケーションは、おらみたいな庶民レベルでも止揚が図れます。
「老子を味わう」
http://www.netwave.or.jp/~m-kenji/page/rousi/rousi000.htm
やっぱ、中国人は偉い。2千年以上も前にこっだらこと発見し法則性ば見出して唱導すんだから。
六区の人々の心はおらの心さまっちすてた。
亀戸方面はまた格別の都会で、おらのは葛飾のど田舎。学校は荒れてたけんども。
まだまだおんぼろ長屋の間を青葉会のバキュームカーが走ってた時代。
田舎の香水が授業中の木造の学校さもにおってきてただが、学校の便所も汲み取りの時代だったす。んだから他人のうんこもながめざるを得ず、こういうものを見なくなった今の人たちはいかにして他人の現実を知ろうぞ?
最後は役に立つのに都会では捨てる、ああもったいなや。
今の無脳政府が戦乱ば日本さもたらしたら都会はどうなる?
新潟中越地震が東京さきたらどうなる?
ああ、そんとき老子様、おらはどうすたらええんだべ?
そうか、そんときは仏さまさお世話になるか。
既成のもの(価値観まで含む)はなんでも否定する老荘思想は大変急進的で、それが権力者には嫌われたみたいですね。
出家ばなしでは「紅楼夢」のファンですだ。
フニャコさん、以後よろしく。
んで現実社会ばサイド見直すとマルクスさ飛翔でけるって、あんがて道教だ。