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(回答先: Re: フニャコ様 報道と情報の氾濫と精神の悲鳴 投稿者 アンチテーゼ 日時 2005 年 2 月 10 日 14:01:11)
この2000年にわたり、無数の人が聖書を読んできた。
キリスト教を名乗り、イエスの一挙一動、一言一句に深い関心を抱いてきた人たちも、実は誰一人としてダヴィンチの聖像画を疑わない。
碧眼白人のイエスがテーブルで食事をする。
イエスが本当はどうだったか?ということに全く関心が無いという証拠だ。
きちんと考えながら聖書を読む。
沸いてくる疑問や矛盾をさらに考える。
「イエスの食欲はすごい。」「福音書とその後の記述の力点の違い」「弟子たちの共通であるべきエピソードに視点の違いだけでは説明できないギャップがある」
それらの事を考えるだけで今までよりずっと聖書を理解できる。
情報を配信する側は、我々を「羊」だと思っている。
考えることの出来る「人」であるには疑問を持ち続ける事が必要かもしれない。
君のような明瞭な文に憧憬を覚えつつも、全くまとまられない苛立ちに悩まされながら・・・。