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(回答先: 思い込みの反復 投稿者 アンチキリスト666 日時 2005 年 2 月 11 日 00:49:52)
アンチキリスト666さん、こんにちは。フニャコに戻ります。
>実は誰一人としてダヴィンチの聖像画を疑わない。
これは寧ろ「疑いたくない」のではありませんか。
冷戦末期なんかは、極東で活動できるソ連の戦闘機は70機余りほどだったと思いますが、「ソ連が攻めてくるかもしれない」という
脅迫観念に対して“疑いたくない”人々も沢山いたように思います。
“疑わない”のと“疑いたくない”のとは違うはずです。
聖職者は疑いたくないでしょうし、一般信者は疑わなかったのでしょう。
キリスト教もユダヤ教もイスラム教も、偶像崇拝は禁じられています。
ですから、イエスの記憶を持っていた世代のキリスト教徒はその肖像を残す事は当然出来なかったはずです。
イエスのイメージを具体的に絵画にするのは、ヨーロッパでキリスト教が広まってしばらく経ってからの事だと思います。
ミラノ勅令が313年ですから、少なくともそれ以降ではないですか。
しかも、ヨーロッパに元々あった神話や宗教をごちゃごちゃ取り入れたでしょう。ミトラ教とかを。
この時点ですでにキリスト教と呼んでいいのか微妙じゃないですか。
イスラム教の成立が7世紀前半くらいでしょう。
ダビンチは大体日本で言うと戦国から安土桃山くらいの人でしょうから、完全に想像で書かねばならなかったはずです。
「イエスはアラブに住んでたユダヤ人だよ」と知っていても、それを元に想像するなら、イスラム教徒のイメージとかぶるはずです。
当時、ダビンチを取り囲んでいた状況から考えると、あの辺が想像力の限界ではないでしょうか。
当然、それを見る人の想像力も限界でしょう。
聖職者なら厳密に考察する事もできたでしょうが、イスラムとのイメージの被りを考えると、考察したくなかったでしょうね。
紀元一世紀というと、日本では弥生時代ですよね。
弥生時代の人物のイメージって湧かないでしょう。
酷いものだと、毛皮被ってイガイガがついた棍棒もって「ウホ」と叫んでいるようなイメージだったりします。
例えば卑弥呼なんかのイメージは優美なおねぇちゃんのイメージだったりしますが、実の所刺青おねぇちゃんだったんじゃないですか。
或いはオセアニアとかあのへんの原住民のような感じだったかもしれません。
(そう考えると写真ってすごい発明ですね。)
キリスト教そのものが、「根本から厳密に考察すると」全部壊れてしまうものになってしまっているでしょう。
もう、デタラメでも“こういう感じ”と「見なす」以外、キリスト教そのものを維持する手段は無いと思います。
ツッコミどころが多すぎて、全部ツッコんでしまうと現役キリスト教信者の皆さんが大変な事になってしまいます。
我々は信者ではないので他人事ですが、信じていたものを一気に否定されたら大変です。
我々自身「神なんかいない」という信仰をしていますが、いきなり神様出てきたらパニックに陥るでしょう。
ですから「キリスト教」自体、もうすでに「パニック防止のウソ装置」だと思っていいんだと思います。
あとは十字軍みたいにならなければ(もうなってますが)。
>情報を配信する側は、我々を「羊」だと思っている。
これは逆に“彼ら”の幻想でしょうね。
我々から付け入っても良いんではないですか。
幻想はそこらじゅうにゴロゴロ転がっていると思います。
(きっと、我々自身が幻想を求めているのでしょうね。次から次に新しいのが出てくると思います)
聖書に飽きても、ネタは不足しませんでしょうからばりばり頑張ってください。
ではごめんなさい。