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(回答先: リベラルも、左翼も、ユダヤも、人類の歴史(物語)の何ページかを紡いでいる横糸に過ぎないでしょう。 投稿者 如往 日時 2005 年 1 月 23 日 03:52:47)
如往さん、こんばんは、「割り込みレス」大いに歓迎ですよ。
>リベラルも、左翼も、ユダヤも、人類の歴史(物語)の何ページかを紡いでいる横糸>に過ぎないでしょう。
そんなものかも知れませんなあ。
我々の物語を書いていきたいですね。
1 アメリカの没落
2 国連の強化
2−1 地球政府の樹立
2−1−1 徴税(資産に対する累進的課税)
3 人権抑圧国家に対する非軍事的圧力
4 戦争の防止
4−1 軍縮会議の開催
4−2 先制攻撃論の批判(アメリカの単独行動主義批判)
5 環境の再生
6 世界世論の形成
6−1 ネットにおける世界中の人との対話(重要投稿は各国語に訳される)
6−1−1 日中間のネット上での対話(既に始まってます。今朝の朝日か神戸)
7 経済システム改革
7−1 地球通貨の発行(減価する通貨)
7−2 地球政府による市場への介入
7−3 消費者の注文後の生産への以降
7−4 農業の保護(農産物貿易の制限)
8 地球法の制定
8−1 戦争の禁止(軍備撤廃)
8−2 人権
8−3 地球裁判所の設置
9 哲学
9−1 世界観の共有
9−1−1 カルト的世界観の否定(キリスト教原理主義)
9−2 宗教批判
9−3 倫理
例えば、以上のような項目に従って、シミュレーションを作っていきませんか?
ご批判、ご意見下さいましたら幸いです。
>http://www.asyura2.com/0411/idletalk12/msg/492.html
>投稿者 日時 2005 年 1 月 23 日 03:52:47:yYpAQC0AqSUqI
>(回答先: RE:我々の物語は?ワヤクチャさんへ 投稿者 愚民党 日時 2005 年 1 >>月 22 日 09:31:43)
> 愚民党さん、こんにちは、ご無沙汰しております。
> いつもながら、稜線上に身をた揺らせつつも愚民党さんの感性が飛翔するレンジの>大いさと正鵠を射ずにはおかない照準の確かさには驚嘆させられます。そして、愚民>党さんの投稿は少なからず私にとって思考のインデクスや読書の契機を与えてくれて>いると有り難く思っています。田原牧氏の論説を楽しく読ませていただきながら、久>しぶりにSENKIの様々なコラムを閲覧することになりました。
私も読んでみますわ。
SENKIとは、共産主義者同盟戦旗派の機関紙ですか?
> 尚、ワヤクチャさんには割り込みレスになりましたことを、この場を借りてお詫び>申し上げます。
いいえ、大歓迎です。
> さて、私は、ユダヤ教やキリスト教の一神教的Contextにも、バラモン教や仏教の多>神教的Contextにも、人類の物語を紡ぐ縦糸の源泉を求めてその在り様を叙述すること>は不可能ではないかと考えています。
人類の物語の出発点になれないという感じですか?
むしろ、哲学・心理学・経済学の方に人類の歴史は集約されているのかも知れませんね。
私は、デカルト、カント、ヘーゲル、フォイエルバッハ、マルクス、フロイト、
ユング、フロム、フーコー、デリダ、田畑稔、柄谷行人、エンデといった所に興味があります。
全部、ほんの少しだけかじったに過ぎませんけど。
>無論、世界には一神教的Contextがメイン・ストリームであるとの主張や、また日本に>はそれを凌駕しようと模索する皇国史観等の思潮があることは十分承知しています。>けれども、この論拠を一言で述べるのは大へんな困難さを覚えています。
「この論拠」とは「一神教が人類の物語の源泉にはなれない」という事の論拠の事
でしょうか?
その事を証明するよりも、我々の物語を主体的に作っていった方が手っ取り早いと
いう気がしますが。
その過程で一神教批判もできていけるでしょう。
「神は理想化された人間である。」というのはフォイエルバッハの「キリスト教の本質」の中の文章ですが、これはまだ批判されていないのではないかと思うのですが
どうなのでしょうか?
つまり、田畑稔氏の目標である「人民の自己統治能力」が成長する過程で
神の役割は相対的に減少していくでしょう。
>つまりは、できるだけ臆見を排し、思考停止に陥るのを回避しながら事物を考察して>きた結果であるとしか言いようがありません。
この文脈がよく分かりません。
済みません。
> かかる間にも、現代世界の政治・経済的支配のコアを成すアングロサクソン・アメ>リカンや主たるパトロンでもあるユダヤ金融資本(家)とその下僕達による人類の自>己家畜化の策謀が水面下ではドラスティックに進行していると想われますが、ユダヤ>教徒がその先に描いている千年王国建設が、人類がブラック・ホールの淵を眼前にし>たときに授かるべき天の賜物との言説は受け容れ難いものです。
私もです。
このような妄信に対する批判が必要です。
宗教とは「根拠なき信仰」をその根幹に持つものです。
このことの危険性を訴えましょう。
>泡沫のような一個の生においては、この先も事実の検証は叶うものではありますまい>が、それ以前に人類は最深部にあって根源的な縦糸を見い出し、それを共有化すべき>でありましょう。
その通りです。
>そのための要諦は地球というMatrixの大きさ(容量)に気づくことであり、さらに自>然のサイクルが産出するパフォーマンスを出来得る限り正確に推量し、それを基にこ>の星の運営にあたることだと考えています。
「星の運営」ですね。
いい概念ですね。
人類は環境を破壊してきました。
これからは破壊をやめ再生に向かうべきです。
二酸化炭素の排出量を抑えるとかなすべき事は多いです。
やっていきましょう。
そのような課題があるかのリストを作りましょう。
ネットで世界の人と話し合っていきましょう。
> しかしながら、少なくとも前掲した輩は星の運営にあたるべき当事者意識の欠片も>持ち合わせていないと思われますし、また日本人という括り中に当事者能力を見い出>すことも難しいと見ています。
そうですね。
>それは、今日の米国の中東アジアにおける傍若無人の振舞いやそれに追随して憚らな>い日本政府の心象風景を一瞥するだけで事足りるでしょう。
まさにその通りです。
>どこに当事者能力を有する者達がいて、またどのように当事者意識を喚起すべきか、>答えはなかなか見つかりません。
我々がなっていくしかないのではありませんか?
そういう問題意識を持つ者がなるしかないでしょう。
>けれども、そう気づいた者にとっては答えを求めていく心根を遺棄することなど習い>性がゆるさないのではないでしょうか。
そうだと思います。
これまでの様々な思想家がそういう人だったでしょう。
>その限りでは私も“68−70”年代の時代が課した呪縛から未だに解き放たれずに>います。
世界観があの時に形成されたのでは無いでしょうか?
私は遅れてきた世代なので共有はしていないのですが、何となく分かります。
> 少しばかりの余談で末尾をおさめたいと思います。昼休み板でのCarry That Weight>さんとの対話に触発され、エーリッヒ・フロムの著作を読み返す機会があったのです>が、中でも『反抗と自由』(紀伊國屋書店1983)で眺望されている世界像はまさしく>今日の世界の状況となって現出して来ていますし、とりわけフロムはマルクスの真情>(ヒューマニズム)の部分をよく捉えていると改めて感じました。
それは分かる気がします。
私は「正気の社会」を読んだ記憶があります。
>そして、私自身がマルクスに傾斜していった切っ掛けは『経済学・哲学草稿』の中で>展開された疎外論にあったことを青く熱き時代への追憶と共に再確認した次第です。
疎外論は大事でしょうね。
労働が「疎外された労働」になっている事が一番問題だと思います。
即ち商品生産(利潤追求)としての労働という事が一番問題でしょう。
労働とは本来は人間関係を豊かにするはずのものだからです。
映画「北の零年」では、そのような理想的な労働が描かれております。