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(回答先: 改めて読んで見て、訂正・補足させて頂きます。 投稿者 プリズム 日時 2005 年 1 月 19 日 10:44:59)
ありがとうございます。
プリズムさんの仰る事を纏めると、
@「霊的存在」の仕業による物である(だろう)。
↓
これに関しては私はまだsolid matter(物凄く科学技術の発展したこの世界の知的生命)の可能性のほうが高いだろうと考えていますが、勿論spiritual matter、non-solid matterであっても可笑しくないと思います。
A内容は大胆に変えられているか、キリスト教に分かりやすい形でmodifyされている。
↓
その通りだと思います。
B「神の罰」は不適切な言い回しであった。
↓
実際は「大きな災いが降りかかるぞ」位の事だったのかもしれませんが、「災い」→「罰」と誰かがやってしまえば後は「神の罰」→「課題」→「条件」→「優越」という流れに一直線ですね。
とりあえず「神」なら不介入主義を貫かなければなりませんから大変ですね。
いつも人間を見ながら「やれやれだぜ」と思っている事でしょう。
ちなみにちょっと前に発見したのですが、http://www.fourwinds10.com/phb/PHB-11-28-04-people-of-the-lie-judge-wisely.htmlによると、有名なマタイ伝7:1の「人を裁くな。あなたが裁かれないためである」というのはウソらしいです。正確には「誤った判断をすると、あなたも誤って判断されますよ」という事らしいです。兎に角、キリスト教を集獄的で魅力のない物に貶めているのも悪魔の仕業であると思いますので、キリスト教自体が成功であるにせよ失敗であるにせよ、知恵のある者は知恵を使い、ない者は平和について祈るというスタンスでやってもらいたいんだろうなあと勝手に推測しています(絶対平和主義者なら幾らバカでも操りようがないので悪魔としては戦力にならない)。また、知恵を使うのなら悪魔の執念を上回る位の執念を発揮しないと駄目でしょうし、「神」も内心では知恵のある者がただぼーっとしているよりかはそちらの方を望んでいるだろうと思います。拙文で失礼致しました。