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(回答先: “奇蹟”の周縁 +補足です。 投稿者 如往 日時 2004 年 12 月 12 日 05:28:21)
如往さん こんにちは。レスが遅くなり恐縮です。
>私のような世人にとって世過ぎ身過ぎの大半は妥協の産物ですが、
>敬虔な信者なればこそ容易に妥協出来得ぬことが沢山あるのでしょう、
妥協に変わる選択肢が入信なのかも知れません。
神の名の下に「その示されるままに生きること」=自発的意思に基づくものであり、人生に妥協しているという認識は本人にはない(が、この時点で思考停止状態が実態)ということです。
>人間性の根底のところで異質感や障壁の存在を発見することがしばしばあります。
>何か宗教という鎧に隔たられた人間関係の切断状況を物語っているような気がしてなりません。
私もそれは感じます。基本的にどの宗教でも大差はありません。生長の家には個人的にはあまり感じませんでしたが、所謂「選民」意識、自らを特別視する傾向は必ずあります。問題は信じている自身を「絶対的」存在として捉え、プチ宣教師となって周囲を巻き込もうとし、それでも意に沿わない人間には諦め・憎悪の感情で接するケースが往々にしてあるということです。文字通り、自らの意思決定が宗教に乗っ取られた洗脳状態がそうさせたと言えましょう。この状態に持っていくキラーファクターが"奇蹟"の目撃なのでしょう。およそ"あり得ない"ことが現出されれば、人は"人智を超えた存在"のなせる業としてその現実を受け止めざるを得ないでしょうし、その存在が「倫理道徳的に否定し得ない」言説でもって「人としてあるべき姿」を提示するならば、自らがその存在を凌駕できるとでも思わない限りは"従属"という道を選択するでしょう。
>「長年車椅子の生活を強いられ立つことさえ容易ではなかった人が突如歩き出す」や
>「医者からも見放された幼児期からの吃音の人が治癒して忽ち喋り出す」とは、
>取り分けキリスト教系団体の“奇蹟”の定番であるらしいのですが、
>重要なことはそれが教団にとっても必要な出来事であり、信者にとっても霊験あらたかなる
>“奇蹟”への臨場によって至福の思いを享受できるという構図が成立してしまっていることです。
>多少意味は違うでしょうが、彼のO真理教の信者達の心象風景にも“奇蹟”は存在し、
>信者の意識に強く刻印されていたことは確かでしょう。
仰る通りです。
>今般、アンチキリスト666さんによる問題提起を受けてあれこれ考えてみましたが、
>私は聖書に纏わる問題を“奇蹟”を如何に取り扱うかといった問題と等価に見ています。
>聖書の解釈は“奇蹟”をどう捉えるか(受け入れるか)によって全く反転してしまうからです。
>同様に、宗教システムに組み込まれてしまいがちな人間心理の解明も重要であると認識しています。
>アンチキリスト666さんは聖書の問題を俎上に乗せようとしつつ、裏面ではご自身が切実な問題を抱えていることの表明ではないかと余計な想像をしていますが、
>今は話が進んでいませんので何とも言えません。また、おそらくあのような遣り方で
>問題解決を図ろうとするのがアンチキリスト666さん独特のスタンスであろうと推察しています。
>ただし、これ以上は下司の勘繰りにもなり兼ねませんので、止めにしますが。
私はキリスト教信者のほとんどが、アンチキリスト666さん以上には聖書を読み込んでいないのではないかと推察しています。聖書については旧約・新約共に過去何回も部分的に改ざんが行われており、矛盾があるのはある意味当然とのことだと考えております。そうであっても宗教色を排し読み物として矛盾点を照らし出し、何故その矛盾が放って置かれてきたのか(書き換えられてきたからこそ矛盾点の整合性を取ることもまた可能であったはず)に踏み込もうとするアンチキリスト666さんのスタンスは素晴らしいと感じております。また、仰る"奇蹟"をどう捉えるかについてですが、証明も反証も不可能かつ改ざんの可能性もある中で聖書に記述された驚天動地な"奇蹟"を"奇蹟として"積極的に認識する動機づけは、入信前に"身近な奇蹟の演出"のみと言えるかも知れません。
>私が心理学の分野で主に影響を受けているのはピアジェ(Jean Piaget)やエリクソン(Erik H .Erikson)の見識です。
>しかし何せ随分古い記憶からなるもので、引き出して照合・確認する作業では四苦八苦しています(大汗)。
>そんなぎごちなさを斟酌していただき、加えてCarry That Weightさんの興趣にも適う
>ものならば、お互いに時間の許す範囲で宗教心理についてもう少し掘り下げてみたいと考えています。
私もエリクソンは結構好きです(苦笑)。如往さんはかなりお詳しそうで釈迦に説法のような前提認識による議論展開しかできず恐縮ですが、こちらこそ、今後とも宜しくお願い致します。