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如往さんが私が描いている構想について誰を目標にしているか、というご質問はもっともだと思います。私の書いた「日本の取るべき戦略」は日本人一般大衆に対し支配層の搾取の事実を理解させ、搾取から解放されるにはどうするかを説明するのが目的です。搾取に対抗する為の方法論として与点制度と幸福指数の採用を主張し、その理論的根拠として摂理を述べ、理論の応用として経済政策を説明しました。従って現在の被支配者を説得する事が目標で、それ故、新しい世代の論理教育の重要さを強調したのです。
しかし、一寸頭の良い官僚や政治家がこの「日本の取るべき戦略」を読めば直ぐ解るであろう事は、私の意図は国民大衆をもっと論理的に考えられるように教育し直し、今の官僚や政治家が持つ権力の殆どを取り上げることにあるのです。それは官僚と政治家をして、あたかも民放局が番組の視聴率の上下に一喜一憂するが如く、国民の幸福指数の上下に一喜一憂させるのが国民にとって最も望ましい政府だからです。だからこそ、私は第13章で数理民主主義という言葉を導入したのです。言い換えれば、官僚と政治家は幸福指数の奴隷となり、国民はその恩恵を受けるという社会です。私がこの事を本文に入れなかったのは私が書き終わる前に妨害が入らないようにする為でした。
この様な社会ではサタニストの手先が国民を騙す為に活動するのは非常にやり難くなります。その理由は幸福指数は国民の経済活動を表す多くの要素に掛けた係数で決まるので、手先になった政治家が国民を騙して社会を支配層の利益の為に操作しようとしても幸福指数がたちまち下落し、その原因もすぐに分かってしまうからです。幸福指数は限られた財政的物資的資源を如何に国民の倫理と価値観に沿って分配されて居るかを示す様に作られています。
以上でお解りの様に、私が提案しているのは西欧人が考えた多くの支配形態のどれにも当てはまらない全く新しい統治方法で、人間の倫理とか価値観は幸福指数の係数に現れる事になります。従って、宗教理念に国民の倫理を委ねる必要はありませんし、違った価値観を持った色々な政党があっても、国民が求める価値観を大きく離れて特定政党の持つ価値観を国民に押しつける事は出来なくなります。これは政策が偏ると幸福指数は下がる性質をもっているからです。私の提案する統治方法では衆愚政治に陥る心配はありませんが、官僚や政治家を幸福指数に表されている国民の意思に強制的に従わせる必要があり、その方法として、監督機構の設置を第24章に提案してあります。