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(回答先: 回答ありがとうございます。Feasibility studyについてもよろしくお願いします。 投稿者 如往 日時 2005 年 2 月 18 日 02:23:47)
まず最初のご質問ですが、数理民主主義の導入に日本が世界で最も適した国である理由は民主主義の概念は西欧から輸入された物で日本で大衆が血を流して自発的に発生した物でないからです。従って民主主義の形態を変更するのに抵抗を感じないだろう、という事です。国民の統治方法はどの国でも昔は暴力から始まりました。文明が進み国民に余裕が出来、教育が進むにつれ、暴力統治は良くないという思想が起こり、民主主義という概念が出た訳ですが、欧米にそれが最初に発生したのは彼らの暴力統治が横暴な物であったからである、と思います。それに比べ、日本の暴力統治は穏便で国民はそれほど虐待されていなかったから民主主義が自然発生しなかった、いうのが私の解釈です。
欧米の支配層は国民の抵抗を受けて民主主義思想を受け入れざるを得なくなり、その対策として打ち出したのは国民を暴力でなくて欺瞞によって統治しようという事でした。形式的には選挙だの議会だのという民主的機構を創設しましたが、今度は国の統治をする役目の政治家と官僚を金や脅迫でもって意のままに動かす方法に変えたわけです。従って、現在の民主国と称される全ての国で起こっている事は支配層が相変わらず国民を搾取して不労所得を確保出来る様になっています。この事は国家統治だけでなく企業統治でも同じで欧米の企業は民主的に株主の利益第一に運用されているいうのは全くの嘘で、株主で本当に利益を得ているのは支配層だけで一般株主は、例え総数が過半数の株数を占めていても、彼らの利益は全く無視されています。だから大企業経営陣の不正行為が後を絶たないのです。政府による規制が不正行為を無くすと思うのはまだ欧米民主主義に騙されている証拠です。規制をする側と規制される側は実は同じ陣営で、如何にも民主的だと国民に信じさせる為に組んだ芝居に過ぎないのです。
もし私が政治家として旧来のやり方を踏襲し、国民に自分の価値観や思想を認めて貰って権力を獲得し、それから自分が正しいと思う改革をしようとしても、その段階に行くまでに既存の支配層から強い干渉を受けてしまい、到底目的を達成する事は出来ません。それよりも私は政治的欲望を持たぬ学者として直接日本国民に語りかけ、欧米社会で日常行われている殆どの民主的と言われる慣行は国民を騙すために考案されたものである事を知って貰う事が先ず第一だと思うのです。その為に、私は「日本のとるべき戦略」多くの欺瞞の例を述べました。最も重要な事は、日本国民に欧米民主主義の真相を理解して貰い、今まで完全に騙されてきた事を先ず自覚して貰う事です。
この欧米民主主義の欺瞞性を日本国民に広く認識させ、次に支配層の為の欧米民主主義を廃止して国民の為の民主主義を構築する事が出来る、それが数理民主主義だと国民が理解し、それを我々は欲しいのだ、と言う草の根運動を起こす事です。日本の今までのように上からの改革でなく下からの改革で無ければなりません。これは欧米民主主義が発生したのと同じ様相ですが、以前と違って今度は支配層に騙されないぞ、という点です。国民が要求すべき事は「与点制度と組み合わせて幸福指数というものを使い、その指数を最大化する様に政府が努力するだけで、自動的に支配層や外国勢力の邪悪な意図を排除出来て、且つ社会が国民の利益最大化を保つようになる、いわばオートパイロットが欲しいのだ」という事です。数理民主主義に転換するに当たり先ず第一に実行すべき事は義務教育に論理教育の導入と官僚と政治家の監督機構の整備です。
この数理民主主義を理解したならば、政治家と官僚から裁量的権力が奪われる理由が解るはずです。しかし、数理民主主義の利点のみを主張し、ただ私の言うことを信用しなさい、と言うのでは誰にも夢物語としか写りませんから、私の議論には深い理論的根拠がある事を示すため摂理を説明したのです。私が宗教的ニュアンスを持った摂理という言葉を使ったのは、これらの法則が人間の力ではどうにもならないものだ、という事を強調したかったからです。ただの法則とか仮説と言えば重みが無くなります。一度摂理が設定されれば、その後の演繹法による論理展開にはギャップがある事は許されず一切の神秘性は存在しませんが、帰納法と言うのは神秘的なものでどうしてそこに到達したのか本人にも良く解りません。いわば天の啓示を受けたとでもいう状態です。だから今まで有名な物理法則を作った人達はどうやってそこにたどり着いたかを説明しないのです。数学の定理造りとは全く違う過程です。
日本で数理民主主義が成功し易いであろう理由は日本人が他民族に比べ相互信頼度が高く新しい制度をしつこく疑う習性を持っていない事です。だから、戦後に欧米民主主義が瞬く間に受け入れられたのです。今までに何度も酷い目に遭わされた西欧人や中国人は新しい制度には非常に懐疑的ですから、何処かで数理民主主義の成功を見ない限り自分達もやってみようとは思わないでしょう。