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(回答先: 「お客様は、必ずしも神様とは限らない。」を常識に!(笑) 投稿者 最大多数の最大幸福 日時 2004 年 12 月 12 日 00:56:52)
最大多数の最大幸福さん、こんばんは。
レスいただけまして嬉しいです。
ところであなたは「最大多数の最大幸福」こそが妥当な目的だとお考えでしょうか?
>なんでも節度というものが大事だと思っています。
そりゃあそうですね。
しかし、この可哀想な殺人犯に「節度を大事に」という考えが通用するでしょうか?
>この場合、殺してしまった牛丼店の店長も行き過ぎ。しつこ過ぎるクレーマーであった>被害者も行き過ぎ。
一般的にはそれは言えますが、当事者はそんな事はどこかへ吹っ飛ぶほど
怒ってしまったのではないでしょうか?
>このあたりのバランス感覚が狂っている人間が厄介なのです。
まあ、「狂っている」という説明で大概の人は納得するのでしょうなあ。
私はこの件に関してそのような「狂っている」という便利な言葉を使いたくは
ありません。
「何が彼を狂わせたのか?」をむしろ考えたいです。
客だから、最初の頃はクレーマーの言葉に耐えたという事が問題なんでしょうなあ。
まあ、これはあなたの結論と同じ事になりますけどね。
つまり、「そこまでクレームをしつこく言われる筋合いは無い。」と
初期の段階で思え、その事を相手に言えたらこんな事にならずに済んだのでしょうねえ。
彼が耐えた、耐えざるを得なかったという事こそが問題だと思います。
じゃあ、何が彼を耐えさせたのか?と考えると、「いかに理不尽なクレームで
あったとしても、あくまでお客さんなのだから最大限我慢して言い分を聞くべきだ。」
という考えがあったからでしょうね。
殺された客の方も、その考えが解るだけに調子に乗って言っていたのだと思います。
しかし、最後の瞬間にこの店員は、この自己抑制を否定してついには殺してしまった
という事だと思います。
この抑制からの反転という契機が何であるのかを分析する必要があると思います。
>このような厄介な人種が居るのは仕方ないとして、ただ、このような輩にまで「お客様>は神様です。」的な
>応対を基本としなければならないという現状自体も、ある意味、狂っているとも言えま>すね。
そういう事ですなあ。
>>ところが、それが市場なんですね。
>>客はきつい事を言ってもいいという事が強くなってきているように思います。
>>買う側と売る側の人間関係が崩壊し、純粋に商品の交換というドライな商取引に
>>収斂したからでしょうね。
>>これが市場経済の行き着く問題点です。
>買う側と売る側の人間関係が崩壊しているのだからこそ、本当は、ただ単に厄介で手間>のかかる客は
>切り捨てた方が効率的な筈なんですけどね。
そうなんですが、そういう客も拾わなくては店としてやっていけないという現状が
あるのではないでしょうか?
「嫌な客も客の内」みたいなね。
>そこは、社員のサービス労働でカバーされているので、経営側は真剣に捉えない。
そうです。
社員が我慢している内は経営者は何も起こっていないと考えているのでしょうなあ。
しかし、様々な葛藤が実際には起こっているという事ですね。
店長もさぞビックリしたでしょうねえ。
そして「そんなになるまで何故お前は我慢したのか?」って思ったでしょうねえ。
逆に店の為にそこまで我慢していたのかという事を知ったでしょう。
しかし、店に迷惑を掛けた事は事実なので複雑ですね。
>勢い負担のしわ寄せは、全部、クレーム対応そのものをする個人に集中しちゃうわけで>すよね。
はい。その通りです。
私もクレーム担当をずっとやってきたのでよく解ります。
>なんぼ客でも、おかしいことはおかしいと、当たり前に反論できることが常識の世の中>であれば、
>このような悲劇は起こらなかったであろうと、思っています。
確かにその通りです。
しかし、市場原理がそのような常識を圧殺してしまったと言えないでしょうか?
市場原理が人を殺したのです。
殺人犯も殺された人も市場原理の犠牲者だと思います。
三波春夫は罪作りかも知れません。