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(回答先: 『真・国民の歴史』日本人の立場で記述 投稿者 月読 日時 2004 年 9 月 08 日 20:01:56)
太古以来の善悪二元論のバリエーションでしかない「支配者・被支配者」という枠組に固定されたアタマを一度解体しなさい。
「日本人の暮らしは、教科書やメディアなどで見聞きするより遥かに貧しい生活があったのが実態であります。日本の農業生産力は低く、幾度も飢饉に見舞われました。(ムラの半数が命を落とすなんて事は珍しくないです。)古文書や郷土の文献には、飢饉、天災、生活実態など、実に多くの先人の歴史が刻まれています。古文書や郷土史の量を考えれば、支配層による歴史は実に薄っぺらなのであります。」
なんて、いかにも「私は被支配者の味方です」と言わんがごときセンチメンタルな心情が、物の見方を曇らせる。
君の思い込みに反して、江戸時代の日本の農業生産力は、近隣アジア諸国の数倍も高かったのである。その生産技術の開発・向上・品種改良などがあったからこそ、明治以降、台湾や朝鮮を統治した時も、現地の低い農業生産力を飛躍的に高める指導ができたのである。朝鮮などは農業生産力が伸びたおかげで人口が2倍近くにも増えた。
ではなぜ、江戸時代に、天明の大飢饉や天保の大飢饉が発生したか? 農業生産力が高かったからである。高ければ高いだけ、自然災害でダメージを受けると、被害も大きくなるのである。文明が発達すればするほど、自然災害で受けるダメージが大きいことは、台風18号による農業被害額の大きさを考えればわかるだろう。生産力の低い国は被害額も小さい。
しかも、君は古文書を読んだことがないだろう。日本の江戸時代は世界にも稀な史料の宝庫となっている。その史料を書いたのは誰か? 武士、すなわち君のいう支配階級である。彼らは毎日の天候から歴史的大事件に至るまで、細大漏らさず記録に留めてきた。大飢饉の記録もほとんどが武士の手になるものである。
それを読めばわかるが(読んでいない者は農民や町人に同情するだけだが)、各藩の武士がいかに救荒対策に尽力したかが手に取るようにわかる。救荒とは飢饉救済の意である。被害の少なかった藩は、他藩から流入してきた逃散農民を「非人小屋」と名付けた難民キャンプで保護し、食糧その他を支給し救助した。被害を受けた藩は、藩の倉が空っぽになるまで備蓄米を放出した。また、治山治水や灌漑施設の改善に全力をあげた。こういう公共事業は、君のいう支配者でなければできなかったのである。年貢米は、基本的にこういう公共事業や治安の維持(盗賊などの犯罪者の逮捕等の警察業務)のために使われたのであって、テレビ時代劇に出てくる悪代官の懐を潤すような事例は少なかったのだ。テレビには毎日、悪代官が登場するけれど、そんな貧困なイメージでしか物を見ないのが、善悪二元論者の欠陥だ。
農民は、自分が生き延びることだけしか考えなかったが、武士は農民救済、共同体全体の救済に命を懸けたのである。だからこそ、無私の精神、公に殉ずる精神の持ち主として、庶民から尊敬されたのである。日本は階級間の垣根が低かったから、誰でも能力さえあれば武士になれたが、主君のため、公共のために「命を捨てる覚悟」が求められた武士に、庶民はなろうとしなかったにすぎない。
「英雄の大活劇や偉人の決断を吟味するのは確かに面白いです。(教科書だけでなく、時代劇やテレビの検証プロジェクトを見ても同様に面白いのですが)しかし、飢饉、天災、支配層の抑圧、戦争などの苦難を幾度となく乗り越え、たくましく生き延びた先祖の存在があるからこそ、今の各人の存在もまたあるのです。それが「真・国民の歴史」であります。」
という君のセンチメンタリズムは、単なる勉強不足のなせるわざでしかない。もっと真剣に勉強したまえ。