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(回答先: Re: チェチェンの大義などのために死ぬ気は全くないプロの傭兵がいた証拠だ 投稿者 戦争屋は嫌いだ 日時 2004 年 9 月 05 日 05:39:46)
そして、
民衆の命など一顧だにせず、
見殺しにして、
憚らない。
国家権力とそれがもたらす利権とを自己保身すること、
国家権力は、これを最優先に諸々のことを進める。
人質の殺戮というテロリストの行為をどんな大儀も正当化するとも思えないが
プーチンの醜悪さは、
ブッシュにも劣らない。
チェチェン民衆の悲惨は想像を絶するものがあり、
私にその悲惨を語ることなどできるとも思えないが、
かつて膨大な日本人民を引き込んで
満州国で起こった棄民、
国家的民衆見殺しを思い起こし
チェチェン民衆の悲惨に思いを届かせる以外にない。
しかし、
チェチェン民衆の悲惨は、
テロリストの行為をいささかも正当化はしない。
多くの子供たちの犠牲が
プーチンが
これからとるであろうテロ対策やテロ戦争を正当化しないように。
チェチェン民衆の悲惨と
テロの犠牲となった死者の死に
報いることができるのは
いったい
誰の
どのような思いと行為なのか?
テロも、
対テロ戦争も、
国家権力とそれがもたらす利権の自己保身という魔力の前に、
限りなく呪縛された者たちの、
人間としての自己喪失、
物神化された国家への自己投身の姿なのだろう。
国家の権力に対峙できるような何の権力ももたない
一人の民衆にすぎな<私>は
国家という牢獄から脱出することもできず、
現在では、
いつ
どこで
振りかかるかもわからないテロ戦争に巻き込まれ
その最中で、
朽ち果てるしかないのか?