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人生の幕引き、戦争の幕引き
船橋洋一
つくづく、ロナルド・レーガンという人は、幕引きの達人だったと思う。ブッシュ大統領が、西欧諸国とよりを戻すため、ノルマンディー上陸作戦60周年を祝おうというまさにそのとき、亡くなった。
テレビは、レーガン元米大統領が20年前にノルマンディーのオマハビーチで行った演説の姿を何度も何度も映した。ブッシュの演説がすっかりかすんでしまったほどだ。
自分の死だけは、自分で幕引くことはできない。レーガンとて同じことだ。だが、レーガンはそれすら見事にやり遂げたという気がする。
過去10年、アルツハイマー病を患った。自分の生活も、いや意思もままならない、儚(はかな)くも酷(むご)い、晩年だった。しかし、そのことが多くの国民の同情と共感を誘った。別に計算したわけではない。出来るはずもない。それでも、人生の幕引きを共感で終える、まさに達人であった。
レーガンの歴史上の地位は確かである。ゴルバチョフと冷戦の幕引きを成し遂げた。
レーガンが失敗した例もいくつかある。レバノン侵攻もその一つだ。ただ、失敗とわかると直ちに米軍を撤退させた。グレナダにも侵攻した。ロケ地での撮影のような勝利の映像だけが華々しく映され、人々はレバノンのことなど忘れてしまった。
そのように、レーガン政治ではポジは米国の中にあり、それを巧みに演出した。それに対してネガは外にある打ち倒すべき対象だった。ソ連は「悪の帝国」と名指しされた。世界も歴史もすべて、白黒で活写され、灰色は忌避された。
レーガンのノルマンディー訪問を同行取材した時のことを思い出す。
オマハビーチの断崖(だんがい)絶壁の向こう、海がうねっている。それを背景に演説するレーガンの顔が大映しになる。どうやってあんな角度で両方を同時にとらえることができたのか。その場にいたらあれほど圧倒されなかったに違いない。私は、急ごしらえのプレスルームのテレビでそのシーンを見ていたから、迫真の「臨場感」を満喫することが出来たのだ。
レーガンは、テレビの魔術師だった。対象を、その文脈も、背景も抜いて、つかみだし、迫真の画像で見せる。そして、われわれに白黒の選択を迫るのだ。
イラクの泥沼化で支持率が低下しているブッシュ大統領としては、大統領選挙を前に、レーガン人気にあやかりたいところである。ケリー民主党候補に比べればその点、有利だ。
ただ、保守派の中にも、ブッシュはもっとレーガンに学べ、との声が強い。現実主義と狡猾(こうかつ)さ、人事采配(さいはい)の妙、などだ。
ブッシュの対テロ戦争とイラク戦争を通じてあらわになってきた米国の世界観(「悪の枢軸」)や安全保障観(「ミサイル防衛」)、一国主義路線、先制攻撃論は、レーガンの世界観(「悪の帝国」)や戦争観(「スターウォーズ」)を源にしている。そもそも、イラク戦争の仕掛け人であるネオコン(新保守主義者)はレーガンに影のようにまつわりついて登場してきたのである。ブッシュ、レーガンの両者に共通する思想は、「米国例外主義」である。米国は、神に選ばれた特殊な民であり、世界に対して特別な使命を持っているとの信念である。
ライス大統領補佐官(安全保障問題担当)は、対テロ戦争、なかでも対イスラムテロ戦争は、対共産主義戦争のように1世代以上かかるイデオロギー闘争になるだろう、と予言する。
しかし、ブッシュの戦いはレーガンの戦いのように幕引きができるだろうか。カギは、それがイラクと中東地域に平和と民主主義をもたらす契機になるかどうかだが、これまでのやり方では難しそうだ。それぞれの国と社会の地理と歴史を捨象して、メード・イン・アメリカのモデルを当てはめ、外から押しつけようとすれば、市場も教育も民主主義も根付かない。
ここで開かれたG8は欧米関係の修復を大きな眼目としている。イラクの暫定政権発足に向け、一緒に国連決議を出すところまではこぎつけた。中東・北アフリカでの民主化推進で協調していくことも申し合わせた。
しかし、欧米間には、理念と信念において大きな懸隔が生まれている。例えば、戦争観。米国では戦争は正義をもたらすと答えるものが53%なのに対し、欧州ではわずか12%にすぎない。つまりは、「米国例外主義」の表れだが、これこそ、レーガンのもっともレーガンらしい遺産であり、それは冷戦の幕引きでさらに蓄積していった。
ブッシュにとって最大の挑戦は、「米国例外主義」の幕引きに踏み出せるかどうかである。 (2004/06/10)
http://www.asahi.com/column/funabashi/ja/TKY200406100168.html