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(回答先: 小6同級生殺害:学校の対応うわべだけ 保護者に違和感 [毎日新聞] 投稿者 あっしら 日時 2004 年 9 月 22 日 19:03:49)
「佐世保小6事件」最終審判決定が、詐欺師やマインドコントローラーならいざ知らず、小学6年生に限ったことではなくいい年まで生きた大人だって難しい“精神性”や能力が乏しいことをもって、「未成熟」だとか「不器用」と判断しているのには驚いた。
「このような女児の不器用さは周囲に気づかれておらず、家庭でも学校でも女児の表現できない思いが酌み取られることはなかった」と言われても、書かれているような内容の「未成熟」や「不器用」が殺人につながるというのなら、誰もが殺人行為に行き着く可能性があるから対応不能だろう。
本当に殺害に及んでいるのなら、もっともらしい“作文”ではなく、彼女がどういう思いでそのような行為に踏み切ったのかえぐり出してもらいたい。
「佐世保小6事件 最終審判決定 要旨(朝日新聞)【学校の責任に触れず】」( http://www.asyura2.com/0406/nihon14/msg/442.html )より:
「自分の中にあるあいまいなものを分析し統合して言語化するという一連の作業が苦手だが、障害と診断される程度には至らない。」
C:自分のなかにあいまいなものがあるかどうかを認知すること自体が難しいことである。ましてや、それを対自化して意味を付与するのは至難な精神活動である。
「愉快な感情は認知し、表現できるが、怒り、寂しさ、悲しさといった不快感情は未分化で、適切に処理されないまま抑圧されていた。」
C:心地よいことはそのまま素直に受け入れて終わることである。
不快なことをどう受け止めるのかどう解釈するのかどう対応するかは難問である。
「このような特性から、主観的・情緒的なことを具体的に表現することが苦手である。また、言葉や文章の一部にとらわれやすく、文章の文脈やある作品が持つメッセージ性などを読みとることができない。」
C:文学賞の選者のコメントや読書感想文の評価にありがちのありきたりの指摘である。
阿修羅で展開されている様々のやり取りを読んできた人たちには、それが過大な要求であることがわかるはずだ(笑)
「その上、例えば相手の個々の言動から相手の人物像を把握するなど、断片的な出来事から統合されたイメージを形成することが困難であるため、他者の視点に立って、その感情や考えを想像し、共感する力や、他者との間に親密な関係をつくる力が育っていない。」
C:政治家・教師・官僚・メディア発信者・学者などがそのような能力を育てているかどうかチェックしてもらいたいものだ(笑)
「また、聴覚的な情報よりも視覚的な情報の方が処理しやすい特性により、聴覚的な情報が中心となる会話によるコミュニケーションでは、文脈理解などの不器用さが際立ち、相手の意図を理解して返答したり、自分の気持ちをうまく表現したりできなかった。」
C:固定化された文章媒介のコミュニケーションでも齟齬が多発するのだから、流れゆく言葉媒介のコミュニケーションでうまく意思疎通するのは難しい。
齟齬が齟齬として浮上しないこともけっこうあり、お互いが違った理解をしたままで終わるコミュニケーションも多いはずだ。