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(回答先: 同床異夢に水をぶっ掛けられるのもありがちな話ではありますが 投稿者 バルタン星人 日時 2004 年 11 月 02 日 21:20:02)
バルタン星人さん、こんにちは。
仰る通り、私自身は阿修羅の方々とは同床異夢な部分が多々あるのであろうと
察しております。
ただ、ウヨ、サヨと人や団体をレッテル張りする投稿にふれますと
自然と拒否反応を持ってしまいました。
ソビエト崩壊後にも使用されていること、
人や団体を色分けするのに有効な表現であるのか等、
果たして、どういった意味で用いられているのであろうかと疑問に感じ
投稿させていただいた次第です。
その後の自己レスは、煽動的であったと自戒いたしましたが。
バルタン星人さんに対話ということに対するお知恵をいただき、
思わぬ収穫であったと、満足しております。
以下のような会話は、たびたび経験いたしました。
>それは普通こうだろうとか。しかし(しつこいですが)その普通というのを概念として説明することは困難でしょう。「いやー普通は普通だよ」という循環論法になるのがオチです。
恥ずかしながら、ムキになって口角泡を飛ばしていた覚えがあります。(笑)
ご紹介の本からの引用、興味深かったです。
>ラス・カサスは、反人種主義者であり、虐げられた人びとの擁護者であったが、同時に、「良い」植民地の制度化を目指していたのであろうか。いったい、剣による伝道などあったのだろうか、いや、ありえるのだろうか。論理的に一貫しており、全ての議論を終わらせてしまうほど、強力な政治的説得力をもつ、このような問いかけに対する解答が、我々に与えられたことは一度としてない。恐らく、そのような解答など存在しないのである。
私は、ラス・カサスの様な視点からものを見ているのだと思います。
が、しかし、ここに書かれているように、現実はものごとの一側面からでは、その解答は存在し得ないのかもしれません。
例えば、テレビは人間を堕落させると知りつつそれに興じ、便利さが体を運動不足にさせるのを承知でそれを享受し、肉食を残虐と知りつつ、それを食し、金が全てではないといいながら、金に振り回されて生きている。
人は、経験や、立場で、ものの見方が180度変わることもあります。
絶対的な真理や、真実といったものは存在し得ないのかもしれませんが、
教育、時代、世相などで主観は変わるようです。
ラス・カサスは虐げられる側にかつていたか、その心を理解する重要な
経験が過去にあったのかもしれませんね。
「良い」植民地の制度化等はないと思いますが、異なる人々が調和して生きてゆくことは可能だと思います。調和ではなく、同一化的な世の中の動きには、危険を感じます。
ただ、便利さと高度な文明と言う魅力には人間の欲望は勝てないのかもしれません。