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(回答先: Re: ほのぼの様にレス 神は一人のほうが遭遇しやすい。 投稿者 Ama 日時 2004 年 10 月 21 日 00:50:11)
Ama様、真摯にお答え下さり、ありがとうございます。
Ama様が自ら発見された神との出会いに、非常に感動しております。
全てに渡って感動する文章でしたが、特に強く感じた部分を取り上げますと、
>教会や信徒と離れ、冷静に自己、家族の問題に直視出来たとき解決策がうまれたように思えます。
>誰にもたよらず自己の最大限の能力までがんばれた時、神様が静かにその過程を見守っていてくれていると感じています。
つまり神を必要とするには、神を必要としないことであると、改めて感じました。色々な場面で、それを実践・経験によって学ぶことができたAma様の精神的な強さに感動です。
>人間には治癒力があり、病気も精神的なものも自己でかなりのところまで治癒できます。
>自分で手に負えないところは専門家の意見や助けを得ます。
>でも最終的には自分の責任です。苦しい時に決して逃げないことを心がけております。
「病は気から」と言いますが、全くその通りだと思っております。自分の精神状態が形になって表れたり、自分に内在する本当の意識的なものが病気になることを了解しているのではないかと私は思います。自分で呼び寄せたのですから自分で治すことができる筈であり、治らなければ何か大きな意図が内在するものであり、それに身を任せることも大切なことなのかと思います。
>時間がかかってもみっともなくても自分でやる、または家族でやると決めたとき、神様は私達が気ずかないくらい
>静かに共にいてくれるように感じます。
何事も神様が行動を決めるのではなく、自らが行動を決めるわけですものね。何事も自分を信じることが大切だと言うことですね。
>神様、神様と叫んでいるときは神様ははるかかなたにいらっしり、無我夢中で何かをやっている時、
>神の存在を感じます。と言ってもこれは私の感性であり、人は皆、違うと思いますが。
>神に遭遇するには聖書からではないとはっきり、自覚しています。
無我夢中で何かをやっている時に神を感じるということは、神とはAma様にとって充実感に満たされることなのかもしれませんね。
>人が集まる場所もただがやがやしているだけで神と遭遇しにくい。
要するに神とは自己の内面にすでに存在するものであり、それを何時、どうして認識するかは
>個人の問題だと思う。 この宇宙も人間も創造したのが神であるならば、おのずと神はおのおのの
>個人に存在しているとおもうのです。
「神は神と似せて人を作った」と言う言葉がありますが、これもある意味、抽象的に言い表しているのかもしれません。
神は宇宙(全て)の第1原因であり、生命や物質形成のきっかけと言うか、流れと言うか、過程というか、・・。しかしそれに人間は「神様」という人格的な要素を付加してしまい、自分とは別の生命体と見てしまうから現在の宗教の諸問題が起きているのかもしれませんね。
神は自らに存在しており、自らが神の一部であり、神を必要とするのではなく、自分を必要とすることが神を本当に利用することだと感じました。