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イチロー新記録 「力は正義」の米で、技術見せつけ頂点 価値観も塗り替えた【東京 核心】
http://www.tokyo-np.co.jp/00/kakushin/20041003/mng_____kakushin000.shtml
球史を塗り替える打球は遊撃手の右を抜けていった。1日、地元シアトルのテキサス・レンジャーズ戦でついに達成したイチロー、年間最多安打の大リーグ新記録。1920(大正9)年のジョージ・シスラー以来84年ぶりの快挙は「力こそ正義」「野球は本塁打」と信じる米国民の価値観をも揺るがし始めた。 (シアトル・斎田太郎)
マリナーズの地元、セーフコ・フィールドで、四万五千人が歴史の証人になった。百敗に届こうかという成績で今季を終えようとする最下位チーム、最終の三連戦。そんな試合にファンが球場に足を運んだのは「この瞬間」の一打見たさにほかならない。それを裏付けるように、イチローは記録達成後の会見でこう言った。「チームが勝てない状況の中、そこに身を委ねることができなかった。プロとして何をみせるか、何をしたいのか」
新記録となった第二打席。「イッチーロー」という怒号に近い歓声が津波のように球場を覆った。打球が外野に達した瞬間、全選手が一塁に駆けだした。
「わたしに野球の純粋さを思い出させてくれた。忘れていた野球の本質と楽しさ。これが、ベースボールの原点だ」。イチローを追うシアトル・タイムズ記者、ボブ・フィニガンさんは記者席で目頭を熱くした。 シスラーとイチロー。時代はなぜか、似ている。大リーグ、米国のパワー黎明(れいめい)期と全盛期。第一次大戦を経て、世界の指導者となった米国が国際連盟設立を提唱したその年、ベーブ・ルースが大リーグの本塁打記録二十九本を一気に抜き去る五十四本を放ち「力の野球」の扉を開いた。シスラーの快挙は熱狂の陰に隠れた。 今、米国は世界政治を力で押す。三十七年ぶりにマーク・マグワイアが塗り替えた本塁打記録(九八年、七十本)は三年でバリー・ボンズに超された。だが、その結末は薬物使用疑惑。力の誇示に手段を選ばない姿は米国そのものに重なる。 イチローは、対極にいる。今年彼は言ったことがある。「僕の存在が大リーグの誤った方向を変えるきっかけになれば」。ニューヨーク・タイムズのリー・ジェンキンズ記者はイチローを「バットをテニスラケットのように使う」と表現する。相手守備陣の穴を狙いすまし、時に柔、時に剛−。
記録達成直前の試合で対戦したアスレチックスの監督で元中日選手だったケン・モッカさんはこう話してくれた。「金と名誉を捨てる覚悟で未知の土地にやってきた男が見せつけた技術。日本人が米国人に野球が何であるかを示したのだ」
イチローの最多安打は決して、全米を熱狂させているわけではない。地元を除けば報道もボンズの七百号本塁打(九月十七日、歴代三位)とは比べようもない扱いだ。イチローはその根強いパワー信仰に、風穴を開けようとしている。
試合後にスパイクとグラブを黙々と手入れし、バットを決して放り投げない真摯(しんし)な態度と「だれにも負けたくない」という思いから磨いてきた技術。フィニガンさんは言う。「イチローへの称賛は、この米国西端の田舎町からきっと全米へと広がる。野球ファンならきっと、彼の奥の深さに気づくはずだから」。その時、イチローが刻んだ球史は、一層の輝きを増す。