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『この差異のある種偶然の連結によって、異化=現象化が起こる』事と、『樫村氏のD哲学批判は、ある意味で正鵠を射ているのであるが、しかし、D哲学の主旨を十分把握していない』という結論は、非常に重要です。現象学、構造主義、ポスト・モダン及び、それ以降において、まさに、差異のみが強調されすぎていますが、擬制としての、連続、つまり、共通の場についての説明が出来ていませんでした。ところが、原風景としての、異質性、絶対的差異の存在形式と、理解のための手法としての擬制的「連続意識」の認識によって、現代哲学が、共通の場によって語られ始めています。また、より重要な点は、『差異と差異との接触』によって、『現象』が生じること、現象によって差異が認識されるが、それは、差異が、嘗て有ったことを認識するのであり、その時、差異の存在は、『無い』こと。これを、『時間』の経過と認識するが、その『時間』も、空間と切り離すことは出来ないので、結局、複合的な位相空間への移動、という表現しか、人間の認知力が無いこと、これらのことが、分かり始めているように思われます。
(詳細は http://blog.melma.com/00112192/20040924035250 )