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(回答先: 北一輝は天皇を「土人の酋長から立憲君主制の『皇帝』」にしようとした。 投稿者 バルタン星人 日時 2004 年 12 月 02 日 08:04:23)
横レス失礼します。
こんな登場の仕方ばかりで申しわけありませんが、バルタン星人さんの議論で、ちょっと、それはないぜ、というところがあったので、割り込ませていただきます。
>昭和天皇の「大葬の礼」の話で吉本は稲作がどうのとか旧説を開陳するんですが、赤坂は「明治以前の天皇の葬式は全部仏式だった」と致命的な一撃を加えるわけです。
あのー、吉本は赤坂の議論に対して、懇切丁寧にお門違いなことを、すぐあとに述べていると思いますが。
ちょっと引用すると、
「だから、僕はいまの赤坂さんのお話をうかがっていて、知識的に得ることがあるけれども、それ以上に何の得ることもないっていうことになるんです。極端に言ったら、そんなことはどうでもいいんだ。そうじゃないんだ、そこになぜ集約されるかという根底のところが問題なんです。」(『天皇制の基層』赤坂憲男X吉本隆明、講談社学術文庫、p.122)
要するに、赤坂の議論はまったく筋違いの議論であって、吉本の天皇論に対して致命的な一撃でもでもなんでもないといっている。
何だ、オレの議論を何にもわかっちゃいねぇんだな、というのが、赤坂の研究成果(それもほとんど受け売りの)を聞いての吉本の感想ですよ、平たく言うと。
頭でっかちの秀才にありがちな、粗雑な議論に対して、懇切に応答していると思うけれど、その辺が読み取れないかなあ。
粗雑というのは、赤坂の議論(吉本の天皇論への反論)は、吉本の議論をまったく理解できていないか、あえて理解していないふりをして、自分の土俵に持ってこようとしているからです。
しかし、吉本はそんな赤坂の土俵には何の関心もない。
その理由も、かなり懇切に述べています。
これでは議論にならない。いや、そもそも、赤坂のような学者研究者が、吉本と議論をする事自体が、筋違いなのかもしれません。
それを「致命的な一撃」としか読めないとしたら、その人も赤坂と同じで、吉本の議論を少しも理解していないことを表明しているにすぎないということです。
>『共同幻想論』は1970年なんで当然歴史的な限界がある、しかし80年代以降吉本は駄弁にふけって「実証」との格闘を忘れた、無残としか言いようがありません。「『共同幻想論』逝ってヨシ!」ですね。
歴史的な限界があるのは、網野や赤坂のほうでしょう。
赤坂の勉強は、新事実が発見されれば簡単にひっくり返る。
それが研究という土俵の掟ですね。
しかし、吉本の議論は、基本的に研究という土俵とは全然異なる地点での議論です。
それは、赤坂やバルタン星人さんが時代考証的成果を山と積んでも、それ自体で(その高さで)ひっくり返るとかいうものではない。
「実証」との格闘?
「思想」との格闘を回避する学者研究者(およびその信奉者)に、吉本の思想を批判する権利はないでしょう。
吉本は、赤坂との議論を通して、若手研究者の水準はこんなものかと思ったでしょうね。
それにしても、そんなに難しいですかね、吉本の議論は。